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Channel: 佐藤 剛 – TAP the POP

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RCサクセション「九月になったのに」~歌や音楽でしか伝えられないボロボロの天使たちの叫び

ラジオから流れた歌を聴いてRCサクセションの大ファンになった竹中直人が、熱心にライブへ足を運ぶようになったのは中学3年生の頃だった。 RCサクセションはヤマハの生ギターFG500をがむしゃらにかきならし、大きなウッドベースを持ったボロボロの3人組だった。 竹中の書いたエッセイには、初期のRCサクセションが持っていた魅力が描かれている。...

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国分寺三中の先輩・忌野清志郎と後輩・ハナレグミのデュエット~「サヨナラCOLOR」

めったにはないことだが、レコーディング中にOKテイクが録れた瞬間、いずれはスタンダード・ソングになると予感させる歌がある。 2001年に出たスーパー・バター・ドッグのシングル曲、「サヨナラCOLOR」はぼくにとってそんな歌だった。 バンドのヴォーカル担当だった永積タカシが自分自身の体験から生まれてきた夢と、現実のはざまにおける切実な”思い”を素直につづった歌詞が秀逸だ。...

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忌野清志郎が歌ってスタンダードになった日本語詞の「デイドリーム・ビリーバー」

1964年の初めからビートルズが全米を制覇して空前のブームを巻き起こしたことに対抗して、アメリカのエンターテインメント業界が用意したのがモンキーズだった。 ビートルズのようなバンド・スタイルのロック・グループが歌うポップスをテレビ番組と融合させて、新しいスターを作ろうとオーディションで選出された4人からなるモンキーズは、1966年8月に「恋の終列車 」をリリースしてデビューした。...

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何日君再来~当局から禁止されても、取り締まられても、拡がり続けたテレサの歌声

歌ってはいけない、放送してはならないと禁じられる歌がある。 書いてはならない、描いてはならないと禁じられる表現がある。 2001年にアメリカで起きた同時多発テロ、9.11事件の直後にラジオの放送自粛リストに上がった楽曲は、ジョン・レノンの「イマジン(Imagine)」を筆頭に150曲以上にもなったが、そこには世界的なヒットソングが数多く並んでいた。 ●ビートルズ「ア・デイ・イン・ザ・ライフ (A...

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「私は自由でいたい。全ての人たちも、自由であるべきだと思っています」と語ったテレサ・テン

1987年に生まれ育った台湾から香港へ住まいを移したテレサ・テンは、日本における歌手活動を除けば、ほぼ引退状態にあった。 もう人前で歌うことは少なくなっていたのだ。だが父母の祖国である中国大陸でのコンサート開催には前向きだった。 もしも大陸で歌うことができるのならば、共産党の幹部やその一族といった特権階級に向けてではなく、自分の歌を愛する名もない一般の人たちの前で歌いたい。...

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ジョージ・マーティンにプロデュースを断られたことから始まった、ビリー・ジョエルの快進撃

1949年5月9日にニューヨークのブロンクスに生まれたビリー・ジョエルは、ピアニストでもあったドイツ系ユダヤ人の父親の影響から、4才でピアノを習い始めてクラシック音楽を学んでいたが、1964年の初頭に出会ったビートルズの音楽に大きな衝撃を受けた。 ビートルズを聴いたとたん、『これだ!』って思った。『そうさ、僕にだってできる。とにかく、やってみよう』って!...

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ロンドンに置き去りにされたウェイラーズ~27歳のボブ・マーリィ

27歳のボブ・マーリィが夏でも肌寒いロンドンで、夜の寒さに耐えていたのは1972年のことだった。 ピーター・トッシュとバニー・ウェイラー、そしてボブ・マーリィの3人からなるザ・ウェイラーズは、現在でも名曲との誉れ高い「ワン・ラブ(One Love)」をヒットさせるなどして、ジャマイカでは60年代の半ばから不動の人気を得ていた。...

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知られざる名曲「丘の上のエンジェル」①~それはザ・ゴールデン・カップスのデビューから始まった~

1960年代後半に巻き起こったGSブームでは、数百ともいわれるバンドが全国各地でプロとして演奏活動をしていたといわれる。 そのなかにあって傑出した存在だったのが、横浜のザ・ゴールデン・カップスである。ゴールデン・カップスが結成された経緯について、ギタリストのエディ藩はこう語っている。...

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知られざる名曲「丘の上のエンジェル」②~スタンダード・ソングになったゴールデン・カップスの「長い髪の少女」

ザ・ゴールデン・カップスは英語の曲しか歌ってこなかったので、ヴォーカリストでリーダーだったデイヴ平尾も、デビュー曲「いとしのジザベル」では戸惑ってしまったそうだ。だが、坂本九の歌唱法を参考にして、なんとか日本語でもスムーズに歌うことが出来た。 しかし、1967年6月15日に発売された「いとしのジザベル」は小ヒットにとどまり、前評判が高くて注目されていた割に、今ひとつという結果に終わった。...

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人間の本質に由来する愚かさ、醜さ、滑稽さ、哀れさを歌う泉谷しげる~〈吐きすて〉の歌の系譜⑦

『黄金狂時代』は泉谷しげるの通算5枚目のアルバムで、1974年10月10日にエレック・レコードより発売になった。 そこからシングル・カットされた「眠れない夜」が出たのは10月25日だったが、翌月の音楽業界誌の週刊ミュージック・ラボ(11月18日号)には、泉谷らしいユーモアのある広告が掲載された。...

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