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Channel: 佐藤 剛 – TAP the POP
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「作詞家・阿久悠の軌跡 」~待ち望んでいた宝物に出会えたという感慨

「作詞家・阿久悠の軌跡 没後10年、生誕80年 完全保存版」というデータブックが発売になった。 そこにはシングルのみならず、アルバムで発表になった曲、B面収録曲、非売品、校歌、社歌、記念曲の情報まで記載されている。 タイトルにもある通り、作詞家としての阿久悠が残した作品情報を可能な限り、すべて網羅しようという思いがカタチになった労作だ。...

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イングランドから日本へ、時代や言葉を超えて受け継がれている名曲「ジュピター」

イギリスが生んだ作曲家のグスターヴ・ホルストが20世紀になって発表した『惑星』作品32は、7つの楽章からなる管弦楽の組曲だ。 とくに有名なのが第四曲「木星(ジュピターJupiter, the Bringer of Jollity)」である。 神秘的かつ壮大なメロディーはイギリスのみならず、世界中で数多くの音楽家やアーティストによってアレンジが加えられて、様々な言語や歌詞で受け継がれている。...

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レコードを聴いて学ぶことができたロックンロールの魂が受け継がれている「ハングリー・ハート」

ブルース・スプリングスティーンの「ハングリー・ハート」は1980年10月21日、2枚組の大作となったアルバム『The River(リバー)』からシングル・カットされた。 イントロが始まった瞬間から聴こえてくるオールディーズのような懐かしさと、思わず身体が動き出すフィル・スペクター的なサウンドは、80年代のロックンロール誕生を予感させるものだった。...

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ザ・ピーナッツにとって最初のオリジナル・ヒットになった「恋のバカンス」が誕生した

  名古屋で見つけたザ・ピーナッツをスカウトし、育ての親として知られる作曲家の宮川泰は、1931(昭和6)年3月18日に北海道に生まれた。 親の仕事の都合で高校から大阪に住むようになり、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に通いながら自らのジャズ・バンドを率いて、進駐軍のキャンプや関西圏のキャバレーやクラブで演奏活動を行っていた。...

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佐藤正午の直木賞作品「月の満ち欠け」に通奏低音のように流れている黛ジュンの「夕月」

小説の上手さでは当代一という声も多かったベテラン作家、佐藤正午が2017年度上期の直木賞に選ばれた時、果たして東京で行われる授賞式に出席するかどうかが話題になった。 長崎県佐世保市に住んで執筆活動を行っている佐藤正午は8月25日、62歳の誕生日を迎えることになっていた。...

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清潔で、さわやかで、それでいて野心的な若者と感じたCharのために、阿久悠が書いた作品の特徴

『没後10年・作詞家50年メモリアル 阿久悠リスペクトコンサート 〜君の唇に色あせぬ言葉を〜』が、2017年11月17日と18日に東京国際フォーラム ホールで開催された。 17日は出演順に八代亜紀、大橋純子、林部智史、MAX、北原ミレイ、石野真子、ささきいさお、Char、新妻聖子、山本リンダ、ゴスペラーズ、和田アキ子、木の実ナナ、五木ひろしで、それぞれ阿久悠が作詞した歌を披露した。...

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追悼・はしだのりひこ~美しいテナーの持ち主で優れたメロディーメーカー

京都のアマチュア・グループだったザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)が、解散コンサートのために自主制作したアルバム『ハレンチ』を頒布したのは1967年10月のことだった。 するとそこに入っていた「帰って来たヨッパライ」が、”変な曲”だと評判になって関西のラジオ局から火がついた。...

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伝説のロック番組『ヤング・ミュージック・ショー』に残されたデヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」

1978年12月12日、デヴィッド・ボウイの来日コンサートが東京の渋谷区神南にあるNHKホールで行われた。 その日は12月6日の大阪厚生年金会館から始まった日本ツアーにおける最終日であるだけでなく、その年の3月29日にアメリカのサンディエゴを皮切りに始まり、北米から欧州、豪州をまわって9か月にも及んだワールド・ツアーの最終公演でもあった。...

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久世光彦が作った沢田研二主演のドラマから生まれた「時の過ぎゆくままに」

1975年にオンエアされたテレビドラマのテーマとして作られた「時の過ぎゆくままに」は、大ヒットを記録して沢田研二の代表作になった。 時の過ぎゆくままに この身をまかせ 男と女が 漂いながら 堕ちてゆくのも しあわせだよと 二人つめたい 体あわせる TBSの演出家でプロデューサーだった久世光彦が手がけたドラマ『悪魔のようなあいつ』は、沢田研二の魅力を最大限に引き立てるべく企画されたものだ。...

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サム・クックが残したメッセージ・ソング「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」

ゴスペル・クァルテットの最上級と目されていた名門グループ、「ソウル・スターラーズ」のリード・シンガーだったサム・クックは、1957年にR&Bのソロ歌手になって独立したことでセンセーションを巻き起こした。 ”聖”のゴスペルから”俗”への転向、そのことがスキャンダル視されるほど、当時は両者の間には大きな隔たりがあった。...

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B級ミュージシャンとして生きる美学~「エッジィな男 ムッシュかまやつ」

一世を風靡した年若いスターがヒット曲に恵まれなくなり、人気が急速に下降してメディアに取り上げられなくなり、世間から徐々に忘れられてしまう。 かつての栄光の日を取り戻そうともがいてみても、二度と泥沼から抜け出せなくなって自滅していく。 そんな現実を身近に見てきたからだろうか、かまやつしろしは独自の”直感力”をはたらかせて、実力以上にもてはやされることを回避してきた。...

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浅川マキが初コンサートの前夜、寺山修司に唄えないと抗議した「ロング・グッド・バイ」

浅川マキが初のワンマン公演を行ったのは、1968年12月13日から15日までの3日間だった。 場所は「アンダーグラウンド蠍座」、前衛芸術とカウンターカルチャーの発信地だった映画館「アートシアター新宿文化」の地下作られた、客席が90席の小劇場だ。 構成と演出を手がけるのはアングラ劇団の「天井桟敷」を主宰する寺山修司で、独り語りの詩がところどころで読まれるリサイタルである。...

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【追悼】ジェイク・H・コンセプション~ジャンルの壁を超えて日本の音楽史に数多の名曲を残した唯一無二のサックス奏者

歌謡曲が全盛だった1970年代から80年代にかけて、ジェイク・H・コンセプションはサックスがフィーチャーされたヒット曲の過半数を、ひとりで吹いていたのではないかといわれるくらい、数えきれないほど多くのヒット曲で印象的な演奏を残している。 なかでも名演と呼ばれているのが、松田聖子の「SWEET MEMORIES」である。 そのときを振り返って、ジェイクはこう語っていた。 松田聖子さんの「SWEET...

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美空ひばりが大好きだったこと、詩人であることが共通していた浅川マキと寺山修司

寺山修司が知人の音楽プロデューサーだった寺本幸司に誘われて、銀座にあったシャンソン喫茶『銀巴里』に出かけたのは、1968年の秋口のことである。 その頃の浅川マキは、歌謡曲の「東京挽歌」でレコード・デビューしたものの軌道に乗らず、うたう場所はキャバレーか『銀巴里』ぐらいで、それも月に3回くらいしか仕事がないという状態にあった。 「ちょっと面白い歌手がいるから見に来てくれないか」...

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原田知世によって時を越えて生きていく歌になった「時をかける少女」

作家の筒井康隆が書いた小説「時をかける少女」は、最初に単行本が発行されてから2017年で50周年を迎えた。 その間、1972年に『タイムトラベラー』というタイトルでテレビドラマになったのを皮切りに、映画やアニメ、舞台とたびたびメディア化されている。...

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詩に書かれた言葉から〈絵のように〉伝わってくる忌野清志郎のロックンロール

(写真・井出情児) ”ダーリン”という言葉が日本人になじむきっかけになったのは、戦後まだ間もない頃に公開された映画『荒野の決闘』(監督ジョン・フォード 主演・ヘンリー・フォンダ)で、「いとしのクレメンタイン(Oh my darling Clementine)」が主題歌に使われたことだった。...

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27歳になって心臓発作で入院したことから、作詞家になろうと決意したなかにし礼

新設された仏文科に転籍したことなどもあって、8年かけて立教大学文学部を卒業したなかにし礼が歌謡曲の作詞家になるきっかけは、1965年の春に訳詩を依頼されたことだった。 タンゴ歌手だった菅原洋一はその頃、6枚のレコードを出したのに全く売れていなかったので、ポリドールから契約が切られる寸前に追い込まれていた。...

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1985年を過ぎたら演奏しないつもりだったブルーハーツ初の自主制作盤「1985」

(写真・井出情児) 1985年に甲本ヒロトと真島昌利 の二人を中心に結成されたザ・ブルーハーツは12月25日、年の瀬も押し迫ったクリスマスの日にライブを行った。 そして会場にきた観客全員に「1985」という曲を録音した自主制作のソノシートをプレゼントし、その曲をライブでも演奏した。 ブルーハーツの誕生と「1985」について、甲本ヒロトはインタビューに答えてこう語っている。...

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「宮本浩次の歌のうまさはダントツですね」と佐久間正英に言わしめたエレカシのヒット曲「今宵の月のように」

デビューから32年目にして初めてNHK紅白歌合戦に出演が決まった2017年12月、エレファントカシマシの宮本浩次は記者会見で、初出場への抱負をこう語った。 「メンバーみんなの夢でした。紅白歌合戦は日本の音楽の最高峰。精いっぱい歌いたい」 1981年に結成されたバンドのエレファントカシマシは、東京都北区の赤羽台にある中学校の同級生たちで結成された。...

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竹原ピストルの27歳~野狐禅としてメジャー・デビューした先に待ち受けていた茨の道

竹原ピストルが北海道の大学に在学中に知り合った濱埜宏哉(はまのひろちか)と「野狐禅」を結成したのは1999年のことだった。...

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