Quantcast
Channel: 佐藤 剛 – TAP the POP
Browsing all 1466 articles
Browse latest View live

Image may be NSFW.
Clik here to view.

松本隆と大瀧詠一の才能が出会いがしらに衝突して生まれた「春よ来い」~〈吐きすて〉の歌の系譜①

1973年9月21日、東京・文京公会堂で開かれたはっぴいえんどの解散コンサートが終わって、ライブ音源をレコードにするためにミックスしていたスタジオで、アンコールに登場したバンドを代表して大滝詠一が客席に向かって放った言葉を聞いた時の反応が面白い。 「もうこの4人でないと出来ない曲を、これから2曲続けてやります」 松本隆はそれを聞いて一緒にいた鈴木茂に向かって、思わず「いいね」と呟いたという。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

蘇った歌の系譜①カヴァー曲「コーヒールンバ」がヒットしたことで発見された「アカシアの雨がやむとき」

西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」は1960年4月、ポリドール・レコードからシングルが発売された。 その片面には原田信夫が歌った「夜霧のテレビ塔」という曲が入っていた。当初のレコード・ジャケットでは本名の「西田佐智子」と表記されていたし、原田信夫の顔写真も掲載されていた。 当時は45回転のドーナツ盤が出て間もない時期であり、A面とB面に異なる歌手の楽曲が収録されるのはよくあることだった。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

西岡恭蔵の27歳~細野晴臣と吉野金次、そして矢沢永吉との出会いで見えてきたダンディズム

大阪のミナミの繁華街から少し外れた難波元町で、「喫茶ディラン」が営業を始めたのは1969年8月15日。その日は終戦記念日であった。 わずか4坪半のスペースにカウンターと椅子とテーブルを並べた店は、15人も入ればもういっぱいだったという。店名のディランはもちろん、ボブ・ディランからとられたものだ。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

矢沢永吉のために書いた「バーボン人生」は「ミスター・ボージャングルズ」からのひらめき

矢沢永吉がソロになってから3枚目のアルバム『ドアを開けろ』(1977年)は、最後から数えて2番目に収録されていた「バーボン人生」と、それに続くラストの名曲「チャイナタウン」がセットになっているかのようで、シブい大人の男の色気を漂わせていてそれまでになく新鮮だった。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

エルトン・ジョン「Your Song(僕の歌は君の歌)」

1967年6月27日、ロンドンのリバティ・レコーズのスタジオでは、<有能なタレントとソングライターを求む>という広告に応募してきた20歳のレジ・ドゥワイトが、ピアノを前にオーディションを受けていた。 レジは緊張のあまり実力を発揮できずに不合格となって落ち込んだが、そこに幸運が舞い込んできた。ソングライターとして応募していた弱冠17歳の詩人、バーニー・トーピンを紹介されたのだ。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

吉田拓郎の「まにあうかもしれない」は岡本おさみによる吐きすてタンカだった〜〈吐きすて〉の歌の系譜②

岡本おさみが言うところの〈吐きすて〉の歌の元祖を海外に求めれば、真っ先に名前が挙がるのはボブ・ディランであり、ビートルズのジョン・レノンやローリング・ストーンズのミック・ジャガーなどが続くだろう。 そしてボブ・ディランやジョン・レノンから強く影響を受けた日本のシンガーと言えば、まずは吉田拓郎が筆頭に挙げられる。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

追悼・ペギー葉山~信頼できるマネージャーとして60数年間の活動を支えた音楽人

青山学院女子高等部に在学中から米軍クラブで歌っていたペギー葉山は、60数年間にわたって同じ事務所に所属して活動してきた。 その間、信頼できるマネージャーとして彼女の音楽活動を支えていたのは、終戦直後から日本のジャズ界で事務方として働いていた太田耕二である。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

発売禁止にならないように計算されていた頭脳警察の「ふざけるんじゃねえよ」~〈吐きすて〉の歌の系譜③

タイトルからも想像がつくように「ふざけるんじゃねえよ」は、詞も曲もサウンドもパンクそのものといって過言ではない。 社会に対するストレートな異議申し立ては、まさに〈吐きすて〉の歌であった。  ここまで突出したロックが1972年の日本で生まれていたのだ。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

バーズのロジャー・マッギンが、ビートルズとボブ・ディランを融合させた1曲

動くビートルズがアメリカで初めて人の目に触れたのは、今から60年前の1964年1月3日に放送されたテレビ番組『ジャック・パー・プログラム』で、イギリスの注目すべき現象として取り上げられた30秒間の「シー・ラヴズ・ユー(She Loves You)」だった。 その映像を目にしたロジャー・マッギンは、ビートといい、ハーモニーといい、すべてが新しい音のバンドに心をわしづかみにされたという。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

中島みゆきが「狼になりたい」に描いた人間模様のやるせなさ~〈吐きすて〉の歌の系譜④

1979年にリリースされた中島みゆきのアルバム『親愛なる者へ』の収録曲に、24時間営業の飲食店を舞台にした『狼になりたい』という歌がある。 「夜明け間際の吉野屋では」と始まるこの曲を、ぼくが初めてNHKのスタジオで聴いたのは、アルバムが発売になる直前だった。 歌い出しの1行目の歌詞で驚かされると同時に、心のなかで快哉をあげたことを覚えている。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

1960年代から海外進出の夢に挑戦してきたザ・ピーナッツの軌跡

渡辺プロダクションという会社を設立した時から、渡邊晋社長と美佐副社長は「日本の音楽を世界に」という夢を掲げていた。 だから日本国内におけるビジネスの足場が固まってくると、二人の目は当然のように海外へも向けられた。 その夢を叶えてくれるのは、手塩にかけて育てたザ・ピーナッツを措いてほかになかった。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

岩谷時子に魂を入れてもらって誕生したザ・ピーナッツの名曲「ウナ・セラ・ディ東京」

作曲家の宮川泰はザ・ピーナッツのために書いた「東京たそがれ」という曲が、実はあまり好きでなかったという。 最初にこの曲を作り始めたときは、とにかく暗いメロディでしょ?  作っていてどんどん悲しくなっていくのね。 だから最初は自分ではあんまり好きじゃなかったんです。 だが新曲としてレコーディングすることになったので、越路吹雪のマネージャーだった岩谷時子に作詞してもらった。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

「恋のバカンス」が誕生~ザ・ピーナッツにとって最初の大ヒットになったオリジナル曲

 名古屋で見つけたザ・ピーナッツをスカウトし、育ての親として知られる作曲家の宮川泰は1931(昭和6)年3月18日、北海道に生まれた。 親の仕事の都合で高校からは大阪に住むようになり、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)に通いながら自らのジャズ・バンドを率いて、進駐軍のキャンプや関西圏のキャバレーやクラブで演奏活動を行っていた。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

日本人が知らない間にロシアで大ヒットしていたザ・ピーナッツの「恋のバカンス」

冬季オリンピックが開かれているソチは、美しい砂浜が広がる海岸で海水浴が楽しめることから、ロシアでは貴重なリゾート都市として発展した。 夏のバカンスで賑わう海辺の街は、地中海に面したフランスのリヴィエラ地方とも雰囲気が似ていると言われる。 そんなビーチリゾートを舞台にしたような曲が、「Каникулы любви(恋のバカンス)」だ。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

ザ・ピーナッツの「ふりむかないで」に受け継がれた「上を向いて歩こう」のエッセンス

ザ・ピーナッツが1962年に発表した「ふりむかないで」は、オリジナル・ソングとしては最初のヒット曲である。 1959年に4月に「可愛い花」でレコードデビューしたザ・ピーナッツは、その年の6月から始まったフジテレビ系のポップス番組、『ザ・ヒットパレード』のレギュラーに抜擢されて人気ものになった。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

エレファントカシマシの「ファイティングマン」と「今宵の月のように」~吐きすての歌の系譜⑤

エレファントカシマシの宮本浩次がテレビ番組のなかで、こんな内容のことを言っていたという。 ボブ・ディランが「ライクアローリングストーン」を、”ライカロリンストッ”って吐きすてるように歌うたび、涙がブワーって出てきたんだ。 初期のボブ・ディランは〈吐きすて〉の歌の原点ともいうべき、新しいタイプのシンガー・ソングライターとして登場してきた。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

ジャニス・ジョプリンの「ムーヴ・オーヴァー」をカヴァーしたGLIM SPANKY(グリム・スパンキー)~〈吐きすて〉の歌の系譜⑥

ジャニス・ジョプリンの遺作となったアルバム『パール』。その1曲目を飾っていた「ムーヴ・オーヴァー」は彼女の代表曲のひとつとして知られる。 終わったんだってあんた、言ったわよね もう、私たちは終わったんだって なのにどうして私のそばをうろついてるの ねえ、どっかへ消えてよ 自分から別れておきながら、なぜかそばをうろついている元彼に対して、ジャニスは「Move Over」という言葉を言い放つ。...

View Article


Image may be NSFW.
Clik here to view.

人間の本質に由来する愚かさ、醜さ、滑稽さ、哀れさを歌う泉谷しげる~〈吐きすて〉の歌の系譜⑦

『黄金狂時代』は泉谷しげるの通算5枚目のアルバムで、1974年10月10日にエレック・レコードより発売になった。 そこからシングル・カットされた「眠れない夜」が出たのは10月25日だったが、翌月の音楽業界誌の週刊ミュージック・ラボ(11月18日号)には、泉谷らしいユーモアのある広告が掲載された。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

吉田拓郎と岡本おさみとの闘争から生まれた「望みを捨てろ」~〈吐きすて〉の歌の系譜⑧

岡本おさみとの協同によるソング・ライティングについて、吉田拓郎は「あの頃いつも俺は不愉快だった(笑)」と述べていた。 ここでいう「あの頃」とは、岡本とのコンビを組んでつくった「旅の宿」がヒットした1972年から、森進一に書き下ろした「襟裳岬」が日本レコード大賞を受賞した1974年頃までのことを指している。...

View Article

Image may be NSFW.
Clik here to view.

主人公のナミとして吐きすてるように歌ったという梶芽衣子の「怨み節」~〈吐きすて〉の歌の系譜⑨

女優の梶芽衣子が歌って代表曲となった「怨み節」は、1972年に製作された映画『女囚701号 さそり』の劇中歌としてつくられた。 しかし8月25日に映画が公開されたときには、まだレコード化されていなかった。 第1作の『女囚701号 さそり』に出演の依頼があった時、梶芽衣子は「女囚なんか嫌よ」と台本を返したという。...

View Article
Browsing all 1466 articles
Browse latest View live