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Channel: 佐藤 剛 – TAP the POP
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サイケデリック・カルチャーとともに奏でられるGLIM SPANKYの「風穴を開けたい」という思い

1960年から始まったベトナム戦争では、武力介入したアメリカ軍が泥沼化した状態を打開するために、1965年から北爆を行うようになった。 そこで後方支援の役割を担っていたのは、沖縄をはじめとする全国各地にあった米軍基地だった。そうした基地周辺の都市を中心に北爆に反対する声が高まり、次第に反戦運動が広まりながら、日本もベトナム戦争の影に覆われていった。...

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GLIM SPANKY~はっぴいえんどの幻影が立ちのぼってくる「ガラスの林檎」

ロックとブルースを基調にした男女二人組のロック・ユニット、GLIM SPANKY(グリムスパンキー)が、NHKホールで10月12日に開催された「The Covers’ Fes 2017」で、松田聖子のヒット曲として知られる「ガラスの林檎」をカヴァーした。 その歌と演奏を聴いた観客のなかからは、「なぜか、はっぴいえんどの幻影が立ちのぼってきた」という感想もあったという。...

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ボサノヴァで「イパネマの娘」を作った音楽家のアントニオ・カルロス・ジョビン

ブラジルで最も偉大な音楽家として愛されてきたアントニオ・カルロス・ジョビン(愛称トム・ジョビン)は、1994年12月8日に心不全のためニューヨークで死去した。67歳であった。ブラジル国民はそのとき、大統領令によって3日間の喪に服している。 その後、「ガレオン国際空港」と呼ばれていたリオデジャネイロの空港が、1999年から「アントニオ・カルロス・ジョビン空港」に変更された。...

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ジョン・レノンの「イマジン」を時間と手間をかけて育んでいった人たち

ジョン・レノンの代表曲といえば、今ではほとんど条件反射的に「イマジン」が取り上げられる。 だが、この曲が他の作品よりも高く評価されるようになったのは、1980年の12月8日にニューヨークの自宅前で銃撃されて亡くなってからのことだ。...

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ジョン・レノンの直感がもたらしたレコーディング技術によって完成した「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」

1966年の9月初旬から、ビートルズのメンバーはソロ・プロジェクトに挑戦し始めたので、滅多に顔を合わせることがなかった。 しかし、再集結して新しいアルバムのレコーディングに取りかかろうと、11月24日の夜にアビーロード・スタジオにメンバーが集った。その日のレコーディングではジョンが、新曲をアコースティック・ギターで歌ってみせた。...

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トリックスターとなった小説家、野坂昭如のために作られた「マリリン・モンロー・ノーリターン」

コマーシャルソングの祖とされる三木鶏郎門下でキャリアをスタートさせた桜井順は、今でも使われ続けている「お正月を写そう」(富士フィルム)を筆頭に、「ブタブタ子ブタ」(エースコック)、「石丸電気は秋葉原 デッカイワー」(石丸電気)、「ダニアース」(アース製薬)など、半世紀を軽く超える期間に約3000本という、膨大な数の作品を送り出してきたソングライターだ。...

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モンタレー・ポップ・フェスティバルが生んだ伝説~オーティスから清志郎に受け継がれた希望と勇気

ジャニスと同じく、1966年6月のモントレー(モンタレー)・ポップ・フェスティバルでのパフォーマンスがきっかけとなって、白人の間にまで一挙に評価が高まったのが、ソウル・シンガーのオーティス・レディングだ。 モンタレー2日目となった6月17日の夜、ブッカー・T&the...

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シングル盤のB面に入っていた野坂昭如の「黒の舟唄」を歌い継いだ長谷川きよし

野坂昭如が歌ったシングル盤の「マリリン・モンロー・ノーリターン」は、1971年にコロムビアからレコード発売された。 しかし、時代のトリックスターのような立場にいた黒メガネの直木賞作家が、歌手としてデビューするという話題がマスコミに派手に取り上げられたものの、それほどヒットしたというわけではなかった。 作家の久世光彦はエッセイの中で、不快感を覚えたという文章を残している。...

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サム・クックが残したメッセージ・ソング「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」

ゴスペル・クァルテットの最上級と目されていた名門グループ、「ソウル・スターラーズ」のリード・シンガーだったサム・クックは、1957年にR&Bのソロ歌手になって独立したことでセンセーションを巻き起こした。 ”聖”のゴスペルから”俗”への転向、そのことがスキャンダル視されるほど、当時は両者の間には大きな隔たりがあった。...

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サム・クックの素晴らしさを発見した日本のミュージシャンたち

アメリカのローリング・ストーン誌で、2014年に180人の著名人の投票により選出された「偉大なシンガー100人」。サム・クックはそこで、ジョン・レノンやボブ・ディランよりも高い4位にランクされている。 だが、日本では長い間、その音楽も、人となりも、紹介されることが少なかった。例えば、1963年に出たレコードが、当時の人気少女歌手リトル・ペギー・マーチのB面だったことからも、その扱いの軽さがわかる。...

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デビュー時にローリング・ストーンズから解雇された男~イアン・スチュワートの果たした偉大なる貢献

1962年10月から12月まで、キース・リチャーズとブライアン・ジョーンズは毎日8時間以上もレコードを聴いて、それを自分たちの楽器演奏で再現させようとしていた。それは想像以上に厳しい作業だった。 彼らが手本にしていたアメリカのギタリストたち、ロバート・ジョンソンやマディ・ウォーターズ、エルモア・ジェームス、チャック・ベリーは、二人が見たこともない方法で演奏していたからだ。...

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山下達郎という職人の仕事から生まれた曲、「クリスマス・イブ」

妥協しない本物の職人の仕事は、積み重ねられていく日常のなかで使われることに価値がある。卓越した技と美を具現化した作品は、後世になって発見されることで、一気に評価が高まることが起こり得る。 日頃から匿名でいい仕事をするのが基本だという山下達郎が、職人と仕事について語った言葉を紹介したい。...

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「パイド・パイパー・ハウス」はなぜ伝説のレコード・ショップとなったのか?

南青山にあった伝説のレコード・ショップ「パイド・パイパー・ハウス」は、1975年11月にオープンしてから足かけ14年間の営業で1989年6月に閉店した。...

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伝説のグループと呼ばれたジャックスが歌と音楽に託した「悲しみ」

日本のロックの原点を築いたジャックスの早川義夫は、こんな言葉を残している。 歌は悲しいから歌うのだと思っている。寂しいから歌うのだ。人とは、違うから歌うのだ。何かが、欠けているから歌うのだ。 中学時代に日劇ウエスタンカーニバルを観てロックンロールに目覚めた早川は、高校入学後に仲間たちとバンド活動を始めると、和光大学へ進学してからジャックスを結成した。...

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ジャックスから岡林信康に受け継がれていった「ラブ・ジェネレーション」とロック・スピリッツ

関西フォークの発信元となったインディーズのURCレコードで、ジャックス解散後に契約ディレクターとして働き始めた早川義夫は、1969年の晩秋にソロ・アルバム「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」を発表した。 「僕はこのレコードをどうしても流行に乗り遅れてしまうような方に捧げようかと思う。多分に時代遅れぎみのこれらの詞曲は、決してかっこよくはなくなんともみじめな歌ばかりなのである」(早川義夫)...

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知られざる名曲「丘の上のエンジェル」①~それはザ・ゴールデン・カップスのデビューから始まった~

1960年代後半に巻き起こったGSブームでは、数百ともいわれるバンドが全国各地でプロとして演奏活動をしていたといわれる。 そのなかにあって傑出した存在だったのが、横浜のザ・ゴールデン・カップスである。ゴールデン・カップスが結成された経緯について、ギタリストのエディ藩はこう語っている。...

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知られざる名曲「丘の上のエンジェル」②~スタンダード・ソングになったゴールデン・カップスの「長い髪の少女」

ザ・ゴールデン・カップスは英語の曲しか歌ってこなかったので、ヴォーカリストでリーダーだったデイヴ平尾も、デビュー曲「いとしのジザベル」では戸惑ってしまったそうだ。だが、坂本九の歌唱法を参考にして、なんとか日本語でもスムーズに歌うことが出来た。 しかし、1967年6月15日に発売された「いとしのジザベル」は小ヒットにとどまり、前評判が高くて注目されていた割に、今ひとつという結果に終わった。...

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エディ藩が歌った知られざる名曲「丘の上のエンジェル」③~ゴールデン・カップスの最後

レギュラーで出演していた店の名前をそのままバンド名にして、1967年にデビューしたザ・ゴールデン・カップスは、もともと志向していたR&Bではなく、ブームになっていたグループサウンズでヒット曲を出すグループになった。...

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エディ藩が歌った知られざる名曲「丘の上のエンジェル」④~アメリカ軍兵士と日本人女性の間に生まれた赤ちゃんたちに捧げる鎮魂の歌~

エディ藩は、ザ・ゴールデン・カップスが解散した1972年以後も、ギタリスト、そしてヴォーカリストとして音楽活動を続けながら現在に至っている。 1981年にソロで発表した「横浜ホンキートンク・ブルース」は派手なヒットにはならなかったが、さまざまなシンガーにカヴァーされてスタンダード・ソングになっている。...

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「ミックはロック、俺はロールさ」~レコードの発明から生まれたローリング・ストーンズのソングライター

ローリング・ストーンズのキース・リチャーズはバンドの相方であり、ソング・ライティングのパートナーでもあるミック・ジャガーについてこう語っている。...

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