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Channel: 佐藤 剛 – TAP the POP
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伝説のロック番組『ヤング・ミュージック・ショー』に残されたデヴィッド・ボウイの「ヒーローズ」

デヴィッド・ボウイの来日コンサートが1978年12月12日、東京の渋谷区神南にあるNHKホールで行われた。 その日は12月6日の大阪厚生年金会館から始まった日本ツアーにおける最終日であるだけでなく、その年の3月29日にアメリカのサンディエゴを皮切りに始まり、北米から欧州、豪州をまわって9か月にも及んだワールド・ツアーの最終公演でもあった。...

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遠藤ミチロウと忌野清志郎がクドカンに叩き込んでくれた“反骨精神”

かつてない大型連休のなかで開催されたイベント、『忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー 日比谷野外大音楽堂Love&Peace 2019年5月4日 ~FINAL~』に足を運んだ。(画像はパンフレット表紙より)...

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やがてバンドを去ることになるブライアン・ジョーンズの嗚咽のように聴こえる「ルビー・チューズデイ」

「ルビー・チューズデイ(Ruby Tuesday)」は1967年1月、「夜をぶっとばせ(Let’s Spend The Night Together)」とのダブルA面でシングル盤がリリースされた。...

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フォスターが書いたアメリカに伝わる究極の哀歌が21世紀になって歌われ始めたのは何故か?

ここ最近になって、世界でも日本でもさまざまなシンガーによって歌われているのが、「ハード・タイムス(Hard Times Comes Again No More)」である。 18世紀にスティーブン・フォスターが書いた歌を、ボブ・ディランがアルバムに収録したのは1992年のことだ。 永遠に 私たちの耳に鳴り響く歌がある ああ、つらい時代なんてもう二度と来ないで...

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「宮本浩次の歌のうまさはダントツですね」と佐久間正英に言わしめたエレカシのヒット曲「今宵の月のように」

デビューから32年目にして、初めてNHK紅白歌合戦に出演が決まった2017年12月、エレファントカシマシの宮本浩次は、記者会見で初出場への抱負をこう語った。 「メンバーみんなの夢でした。紅白歌合戦は日本の音楽の最高峰。精いっぱい歌いたい」...

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浅川マキが初コンサートの前夜、寺山修司に唄えないと抗議した「ロング・グッド・バイ」

浅川マキが初のワンマン公演を行ったのは、1968年12月13日から15日までの3日間だった。 場所は「アンダーグラウンド蠍座」。 前衛芸術とカウンターカルチャーの発信地だった映画館「アートシアター新宿文化」の地下作られた、客席が90席の小劇場だ。 構成と演出を手がけるのはアングラ劇団の「天井桟敷」を主宰する寺山修司で、独り語りの詩がところどころで読まれるリサイタルである。...

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「涙そうそう」の誕生~出会いとは偶然ではなく、運命が時を選んで、会うべき人に会わせてくれている

BEGINは、沖縄県石垣島出身の幼馴染みの同級生が組んだバンドで、東京で結成された当初はロックを演奏していた。それから1989年にTBS系のオーディション番組「イカすバンド天国」を経て、オリジナル曲「恋しくて」で、1990年にデビューした。...

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小椋佳のファースト・アルバム『青春―砂漠の少年―』が1971 年に世に出るまで

1966年の春に東京大学を卒業した神田紘爾(かんだこうじ)は、日本勧業銀行(元・第一勧業銀行、現・みずほ銀行)に就職した。 それからしばらく時が流れて、学生時代にしばらく師事する形になったアングラ劇団「天井桟敷」の主宰者、作家で詩人の寺山修司から電話がかかってきたのは1969年のことだ。 「青春群像を描くLPレコードを作っている最中なのだが、君も来て参加しないか」...

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「スーパー中学生だったんです」というユーミンが作詞作曲した「恋のスーパーパラシューター」

東京・八王子の「荒井呉服店」の次女として生まれた荒井由実(ユーミン)は、音楽が大好きな赤ちゃんだった。おむつを付けている頃からマンボを踊って可愛がられ、小学生になってからはザ・ピーナッツや坂本九などのポップスを歌って周りの人たちを喜ばせた。 そしてピアノと三味線を習い始めたことから、いっそう音楽に親しむようになっていった。...

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シンガー・ソングライターとしての魅力と可能性が試された「返事はいらない」

ビートルズの来日公演から数年ほどが経過して、「ニュー・ミュージック」と呼ばれる歌が登場してきた。 マスメディアの一部で使われ始めたその言葉は、サウンドからも歌詞からも“新しさ”を感じさせる日本語の歌というような意味だった。 1972年から73年にかけて登場した音楽にはそうしたものがいくつもあり、それまではフォークあるいはロックというジャンルに分けられていた。...

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ヨーロッパの洗練がアメリカの土くささにブレンドされて、新しいポップスが誕生~『ひこうき雲』

荒井由実(松任谷由実)のアルバム『ひこうき雲』は、1973年の初夏に本格的なレコーディングが始まった。 GSブームとともに若手作曲家として一気に抬頭した村井邦彦が、新しい時代の音楽を創造する夢を託して始めた音楽出版社のアルファ・ミュージックが原盤を制作した。アレンジと演奏を担当したのは、結成まもないキャラメル・ママだった。...

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「うたづくりにおける特別な瞬間」について語った松任谷由実(ユーミン)と井上陽水

松任谷由実(ユーミン)が会いたかったという、たくさんの著名人との対話をまとめた単行本「才輝礼賛38のyumiyoriな話」(松任谷由実著/中央公論新社)には、ほぼ同じ時代を生きてきたシンガー・ソングライターの井上陽水が、最後のひとりとして登場している。...

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「ルージュの伝言」〜エリザベス・テーラーが主演した映画の残像からユーミンがイメージした物語

松任谷由実は、3枚目のアルバム『コバルト・アワー』について、それまでとは発想を変えて作ったと語っている。 私小説というコンセプトに基づいていて作られたファーストの『ひこうき雲』とセカンドの『MISSLIM』は、もう二度とできないという意味からしても、まぎれもなく私小説と呼べる作品だった。...

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「涙のリクエスト」は「夏のクラクション」と同じDNAを持って別々の惑星で生まれた双生児

1983年9月21日にデビューする予定だったバンド、チェッカーズのために、作詞家の売野雅勇が「涙のリクエスト」を書いたのは4月の中旬であったという。 それは奇しくも稲垣潤一に「夏のクラクション」を書き上げた翌日のことで、この2曲の関連について売野は、著書『砂の果実』でこう述べている。 誰が読んでも絶対に気がつかない自信があるけれど、このふたつの曲は、同じDNAを持つ、別々の惑星で生まれた双生児だ。...

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忌野清志郎さんに「スローバラード」は日本のロックの歴史に残る傑作だと思いますと言った日のこと

2016年4月、新聞のニュースを読んでいて、忌野清志郎さんと初めて会った日のことを思い出した。 ・「忌野さんの創作ノート発見 30曲分、自信と不安抱く」(日本経済新聞)...

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追悼・西部邁~歌謡曲を心から愛した素朴な先生が口ずさんでいた仲宗根美樹の「川は流れる」

小田急線の祖師ヶ谷大蔵駅から南に歩いて3~4分のところに、西部邁さんが常連として通った小さなバーがある。名前は「Rose(ローズ)」。地元の常連のほかに音楽関係者の姿も見られる。 店のママは坂本ナポリさん。若い頃は音楽事務所に勤務していた洋楽ファンで、実験的ポップス・ユニットのSPANK...

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GSブームに先鞭をつける和製ポップス第1号、「涙の太陽」は洋楽評論家だった湯川れい子の作詞家デビュー作

1965年4月20日に発売された「涙の太陽」は歌詞がすべて英語、その年から本格化したエレキ・ブームにふさわしいサウンドで大ヒットした。 歌ったのは「エミー・ジャクソン」という名前の若い女性だが、はじめのうちは正体があいまいで、ほとんどの人は外国の曲かと錯覚していた。レコードも日本盤の330円ではなく、370円と洋楽の価格であった。 レコード盤にも「R.H.Rivers...

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連載ノンフィクション第1回 日本で最初のシンガー・ソングライターが誕生

美輪:これ45年前にレコード会社で入れたやつで。『夢であいましょう』(NHK)でやってました。あの時の中村八大さん、「上を向いて歩こう」の。彼が編曲してくれて棒を振ってくれて。同時録音だったんですよ。 司会者:その時に録った声が、今流れてるわけですね。 (2014年12月25日NHK総合「あさイチ」プレミアムトーク)...

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連載ノンフィクション第2回 異端にして革命児だった丸山明宏

シスターボーイという流行語とともに登場した美青年  日本におけるシャンソンの歴史は古く、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)で最初のレビュー『モン・パリ〜吾が巴里よ〜』が上演された一九二七(昭和二)年から始まった。海外資本によるレコード会社が本格的に事業を始めたのが同じ年のことなので、歌謡曲が誕生した時にはもうシャンソンが入っていたことになる。...

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『熱風』連載第3回 長崎の臣吾少年から銀巴里の丸山明宏へ成長した青年

 丸山臣吾は一九三五(昭和十)年五月一五日、長崎県長崎市に生を受けた。江戸時代から日本で唯一の国際都市として外国文化に親しんできたこともあって、長崎はコスモポリタンな雰囲気が漂う美しい街だった。太平洋戦争が始まる前までは、大正デモクラシー期のエロ・グロ・ナンセンスの気分や、昭和のモガ・モボ時代の粋さや流行のなごりが漂っていた。...

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