「アローン・アゲイン (ナチュラリー) 」はアイルランド人のシンガーソングライター、ギルバート・オサリヴァンの楽曲で1972年にリリースされると、口ずさみやすいメロディーで世界的な大ヒットになった。
アメリカのBillboard Hot 100のシングルチャートでは、7月から9月にかけて合計で6週も1位の座にあった。
本国のイギリスでは最高3位だったが、日本でもオリコンの洋楽シングルチャートで10月23日から5週連続1位を獲得している。
ソフトな歌声と親みやすいメロディーのおかげで多くの人達の共感を生んだが、歌い出しから飛び降り自殺を予告しているような歌詞は深刻で、孤独な男の究極のうめきともいえる内容の歌である。
1946年12月1日アイルランドのウォーターフォードに生まれたレイモンド・エドワード・オサリヴァンは、13歳の頃に家族と共にイングランドにやってきた後に美術大学に進んだ。
その当時のほとんどの若者がそうだったように、ビートルズに影響をうけて自分で曲を書き始めている。
そしてCBSレコードと契約して数枚のシングルをリリースしたが、さほど注目されることはないままに終わった。
それでもあきらめずにデモ・テープをつくって、あちこちの音楽出版社などにアプローチしていて、イギリスで勢いのあるマネージャーの目に止まった。
そのマネージャーとはもとは歌手だったゴードン・ミルズ、ウェールズ出身のロッカーだったトミー・スコットをトム・ジョーンズの名前で売り出して世界的なエンターテイナーに育て、レイチェスター出身の歌手アーノルド・ジョージ・ドージーにはエンゲルベルト・フンパーディンクの名前を与えて、バラード・シンガーとして成功させていた人物である。
アメリカにも進出して国際的にも成功を収めていたミルズは、レイのメロディ・メーカーとしての才能を見抜いて、1970年に自分のレーベルMAMからギルバート・オサリヴァンの名前で、シングル「ナッシング・ライムド(Nothing Rhymed)」をリリースした。
それがラジオで火が付いたことから全英8位のスマッシュ・ヒットになり、ギルバートの名前はポップスターとして知られるようになった。
そして1971年にはアルバム「ヒムセルフ~ギルバート・オサリヴァンの肖像(Himself)」を発表する。
チャップリンをおもわせるその衣装とスタイルをミルズは好まなかったらしいが、ギルバートはそのスタイルでいくことを強く主張したと言われている。
この辺りから芸名のことも含めて、アーティストとマネージャーの間で意見が食い違い始める。

「Gilbert O`Sullivan」という名前は、サリバン家の息子ギルバートを意味しているが、ヴィクトリア王朝時代にオペレッタのソングライターとして活躍した、有名なギルバート&サリヴァンをもじって付けられたものだ。
覚えやすくて懐かしささえも感じさせるので、確かに芸名としては成功だったのだろう。
だがギルバートはそのことについて、はっきりとこう述べていた。
ぼくの名前はいまだにレイ・オサリヴァンさ。ギルバートに変える気は全然ないね。
まず第一にこの名前は好きじゃないんだ。だからギルバートになれるわけないよ」
「アローン・アゲイン (ナチュラリー) 」の大成功を境にしてミルズとの関係が次第にギクシャクしていったのは、商業主義に走る辣腕マネージャーと、地味でもじっくり作品づくりに取り組みたいアーティストの根本的な食い違いによるものだった。
1975年あたりからは音楽的な方向性のみならず、ロイヤルティーの分配などをめぐって、レーベルとの関係まで悪化してオサリバンが訴訟を起こす事態にまでになる。
その頃の日本で、「あいつも あたしも 好きだった アローン・アゲイン」というフレーズが出てくる、印象的な歌が誕生している。
中島みゆきが1979年3月21日に発表した5枚目のアルバム『親愛なる者へ』で、2曲目に収録された「タクシー ドライバー」である。
やけっぱち騒ぎは のどがかれるよね
心の中では どしゃ降りみたい
眠っても眠っても 消えない面影は
ハードロックの波の中に 捨てたかったのにね
この歌詞の内容も「アローン・アゲイン」に似ていて、孤独の極みにいる泣き顔の女性が主人公で、しかもその状態が続いていく歌だった。
車のガラスに額を押しつけて
胸まで酔ってるふりをしてみても
忘れたつもりの あの歌が口をつく
あいつも あたしも 好きだった アローン・アゲイン
行き先なんて どこにもないわ
ひと晩じゅう 町の中 走り回っておくれよ
ばかやろうと あいつをけなす声が途切れて
眠ったら そこいらに捨てていっていいよ
ちなみに「都会の孤独をテーマに描きたかった」と脚本を書いたポール・シュレイダーが述べた映画、一人の孤独なタクシー運転手をロバート・デ・ニーロが演じた『タクシードライバー』{監督:マーティン・スコセッシ)が、日本でも公開されて話題になったのは1976年の秋だった。
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