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Channel: 佐藤 剛 – TAP the POP
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村井邦彦の「LA日記」は過去に学ばずして創造はないと教えてくれる

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村井邦彦は慶応大学を卒業して間もない23歳の時に、新しいセンスを持つ作曲家として音楽シーンに登場して以来、またたくまにヒットメーカーとして名をつらねた。

それから1年と少し後に、やはりヒットメーカーとして活躍していた作詞家の山上路夫と組んで、自らの音楽出版社「アルファミュージック」をつくり、ソングライター主導による作品づくりを始めている。

欧米にはスタンダード曲という多くの人々が長年歌い続けてる曲がたくさんあるのに、「なぜ日本には懐メロはあってもスタンダード曲がないのか」という疑問から、作家の発想で自主的に曲をつくって品を売り込むという、欧米の音楽出版社と同じやり方をとったのだ。

そこから1970年に生まれたのが、後に国民的な愛唱歌へと成長する「翼をください」だった。赤い鳥のデビュー曲として71年の2月5日にシングル・レコードが発売されたが、そのときは「竹田の子守唄」がA面で、B面の扱いであった。

それからはレーベルとして音楽制作を行うアルファ・アンド・アソシエイツをつくり、新しく作った最新のスタジオA を拠点にして、荒井由実(ユーミン)の歴史に残るアルバムや、ハイ・ファイ・セットのヒット作を制作している。

そして世界のマーケットを相手に勝負に出たのが、1978年から手がけたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)で、欧米でもそれなりの成果を得るところまでいったのである。

アトランティック・レコードの創始者だったアーメット・アーティガンや、フランスのバークレイ・レコードのエディ・バークレイとの交友にまつわるエピソードなどが書かれた著書「LA日記」を読んでいると、世界の音楽業界でVIPとして活躍したミュージックマンたちに可愛がられながら、対等に付き合って認められていったことが随所から伝わってくる。

今年で85歳になった音楽評論家の安倍寧氏が「LA日記」のことを、”頬っぺたが落ちそうに美味しいエッセイ集”と評しているのが言い得て妙だ。とにかくどのページからも生きた体験で身につけた知性や教養が、自然ににじみ出ている。

料理にたとえるなら一頁一頁が実に美味しい。舌舐めずりしながら頁をめくった。そりゃそうだ。1960年代から今日まで約50年、一気に時代を駆け抜けてきた作曲家、音楽プロデューサー村井邦彦が、惜し気もなく自らを語った初のエッセイ集なのだから。ネタは時代を超え国境を超え豊富そのものだ。調理がこれまた粋なジャズ・ピアノ のように変幻自在この上ない。とりわけ音楽界の内側を知りたい人にお薦めする。 音楽界という魔界の事情が手にとるようにわかるだろうから。


その安倍寧氏については、「LA日記」にこんな文章が出てくる。

安倍寧さんも慶応の先輩で、文学、音楽、演劇、ミュージカルからワインや料理のことまで、幅広い知識をお持ちだ。同級生の浅利慶太さんと一緒に劇団四季のミュージカル路線を成功させた功績はとても大きい。服部良一作品を雪村いづみが歌い、キャラメル・ママ(ティン・パン・アレー)が演奏するアルバムに、『スーパー・ジェネレイション』というタイトルを付けてくれたのも安倍さんだ。




村井邦彦は国際人として世界中を飛び回りながら、日本のポップ・ミュージック次々にを新しいものへと変えていった。赤い鳥、小坂忠、ガロ、ブレッド&バター、荒井由実、紙ふうせん、ハイ・ファイ・セット、吉田美奈子、カシオペア、サーカス、YMO、シーナ&ロケッツなどが、アルファのもとで輩出された。

しかし、戦前から戦後に活躍した作曲家の服部良一作品にも最大の敬意を払い、1974年に細野晴臣以下の若手ミュージシャンとともに、アルバムをプロデュースしている。そこでは懐メロではなく日本のスタンダード曲にするために思い切った解釈と、斬新なアレンジを行うことで、雪村いづみのヴォーカルによって新しい生命を吹き込んだのである。

その画期的な試みについて服部は、アルバムの完成直後にこのような感謝の気持ちを述べていた。

ぼくは、村井くんという作曲家が好きだったし、雪村いづみという歌手が、今の日本ではトップの歌い手、日本を代表する歌手だと思う。海外のフェスティバルとかも彼女しかいない。その歌手がぼくの歌惚れてくれた。ぼくは非常に嬉しかった。(長男の)克久と同じジェネレーションの人間がぼくに挑んできた。


このアルバムのために「香港夜曲」を聞いて、村井邦彦は自分でインストルメンタルにアレンジして、それをA面のトップに持ってきた。その出来上がりを聴いた服部は、「ここから村井さんはこのLP作り方たかったんだなぁと思うと嬉しくてしょうがなかったですね」と、本人に自分の言葉で伝えている。

70歳になって当時の服部の年齢を超えた村井邦彦のこんな言葉が、「LA日記」のなかでも特に印象に残った。

そういえば僕だって1945年生まれなのに、1938年に録音されたベニー・グッドマンのカーネギーホールコンサートの録音盤を聴いて音楽をやるようになった。最近の僕の音楽への興味は、前へ前へとさかのぼり、19世紀から20世紀初めのクラシック音楽に移っている。過去の音楽に興味を持つ人のことは理解できる。



村井邦彦『村井邦彦のLA日記』(単行本)
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