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Channel: 佐藤 剛 – TAP the POP
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世界初(!)のはずだったワンマン・アルバム『ムッシュー かまやつひろしの世界』

日本で最初のオリジナルのロック・ナンバーとなった「フリ・フリ」(作詞・作曲かまやつひろし)を、1965年に発表したザ・スパイダースは日本語のロックの原点と呼ぶべき存在だろう。 「フリ・フリ」が誕生したのは新メンバーとして加入したかまやつひろしに、リーダーの田邊昭知が「かまやつ、何かひとつオリジナルを作れ」と指示したからだった。...

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自分のリスペクトする音楽をやっていくためにB級ミュージシャンとして生きた「エッジィな男 ムッシュかまやつ」

一世を風靡した年若いスターがヒット曲に恵まれなくなって人気が急速に下降し、メディアに取り上げられなくなって世間から徐々に忘れられていく。 やがてかつての栄光の日を取り戻そうともがきながらも、二度と泥沼から抜け出せなくなって自滅していくという芸能人の悲劇。 そんな現実を身近にたくさん見てきたからだろうか、かまやつひろしは実力以上にもてはやされることを常に回避してきたようにみえる。 「エッジィな男...

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スパイダースとビートルズに出会ったかまやつひろしの快進撃は27歳になると同時に始まった!

かまやつひろしはもともとカントリー好きで、ハンク・ウィリアムス以下ひと通りのものは聴いてから、自分でも歌い始めた。 1958年に始まったロカビリー・ブームのなかから音楽シーンに出てきたのはめぐり合わせで、初めからロカビリーはどこか苦手だったという。ただ、エルヴィスの登場には「すごいのが出てきたなぁ」と感心した。...

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『ミート・ザ・ビートルズ』を聴いたかまやつひろしが確信した近未来、そこから生まれたスパイダースの「フリフリ」

それは1964年のことだった。皇居脇にあった日比谷の三信ビル1階に、洒落たハンドバックなどのファッション小物やアクセサリー、輸入雑貨類など売ってるショップがあった。 その店には海外へ商品を買い付けに行った時に、ついでに購入してきたような輸入レコードが置いてあるコーナーがあった。 偶然に出会ったビートルズのアメリカ盤レコード『ミート・ザ・ビートルズ』を見て、かまやつひろしはハッとしたという。...

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1966年にザ・スパイダースが出演したイギリスの人気テレビ番組「レディ・ステディ・ゴー」

1966年の11月にヨーロッパ・ツアーに出掛けたザ・スパイダースが、最初に降り立ったのはオランダのアムステルダムである。空港で歓迎に出迎てくれたのは、スパイダースの大きな手書きの絵を掲げた女の子たちだった。 オランダは国際的な複合企業、フリップスの本拠地だ。日本からフィリップス・レコードのアーティストが遠路はるばるやってきたので、女の子たちを集めて歓迎の意を表してくれたのだろう。...

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いろいろな替え歌にカヴァーされてスタンダードになった「世界の国からこんにちは」

「万国博テーマソング 軽快な曲できる」 3年後に大阪で開催される日本万国博覧会を盛り上げるために、一般公募によって作られた歌の完成を報じたのは、1967(昭和42)年1月13日の毎日新聞である。 全国から募集した歌詞は13195点もの数にのぼったが、その中から選ばれたのは大阪府豊中市に住む詩人、島田陽子さんの作品だった。...

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山崎まさよしの「One more time, One more chance」をスタンダードにした映画、『秒速5センチメートル』

かつてはバンドのヴォーカリストとしてカリスマ的な人気を博した若者が、バンド解散後に創作意欲を失い、人里離れた田舎でキャベツを育てながら隠遁生活を送っている。 そんな主人公がひとりの少女との出会いから、新たな曲を生み出すまでを寓話的に描いた映画『月とキャベツ』(監督 篠原哲雄)は、シンガー・ソングライターの山崎まさよしが主演して、1996年末に単館系映画館で劇場公開された。...

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かまやつひろしと漫画家が蕎麦屋で隣り合わせたことから生まれたTVアニメ『ギャートルズ』の主題歌

1974年10月5日から1976年3月27日までオンエアされたTVアニメ『はじめ人間ギャートルズ』は、原始人たちの家族が繰り広げる日常を描いた園山俊二原作のギャグ漫画をアニメ化した作品だ。 かまやつひろしがその主題歌を頼まれたのは、まったく偶然の出会いからだった。 「室町砂場(むろまちすなば)」は明治2年創業で日本橋に店を構える老舗、天もり発祥の歴史ある蕎麦屋である。そして「室町砂場...

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穏やかで飄々とした才人、かまやつひろしから生まれた「やつらの足音のバラード」

赤坂の老舗・蕎麦屋での出会いから始まったTVアニメ『はじめ人間ギャートルズ』の主題歌作りでは、ユニークなオープニング・テーマ「人間ギャートルズ」の他にもう一つ、きわめて個性的でかまやつひろしらしい楽曲が生まれた。 それが生命の誕生とその死をテーマにした「やつらの足音のバラード」である。...

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追悼・かまやつひろし~武部聡志の生誕60年記念コンサートで披露された「ムッシュかまやつメドレー」

音楽プロデューサーでキーボーディスト、作曲家・編曲家として活躍してきた武部聡志の生誕60年を記念したコンサート「武部聡志オリジナル・アワード・ショー」が、2017年2月27日に東京国際フォーラムで開催された。...

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先輩格のかまやつひろしのために吉田拓郎が書き下ろしてくれた「我が良き友よ」

かまやつひろしは1970年代の前半、原宿の「ペニーレーン」や六本木の飲み屋などで、吉田拓郎とよく顔を合わせていたという。 当時の拓郎はフォークやロック、歌謡曲というジャンルの壁を越えて、変わりつつあった音楽シーンでひときわ輝いているアーティストだった。 それぞれの人間関係や人づき合いから自然に知り合った二人だったが、積極的に近づいていったのはかまやつひろしのほうだ。...

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村井邦彦の「LA日記」は過去に学ばずして創造はないと教えてくれる

村井邦彦は慶応大学を卒業して間もない23歳の時に、新しいセンスを持つ作曲家として音楽シーンに登場して以来、またたくまにヒットメーカーとして名をつらねた。 それから1年と少し後に、やはりヒットメーカーとして活躍していた作詞家の山上路夫と組んで、自らの音楽出版社「アルファミュージック」をつくり、ソングライター主導による作品づくりを始めている。...

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作曲家コンクールの応募曲からスタンダードになった「翼をください」に託された夢

「翼をください」が発表されたのは1970年の11月、三重県志摩郡のリゾート施設「合歓の郷」で開催されたプロの作曲家によるコンテストの会場においてであった。...

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久世光彦特集~テレビ版『マイ・ラスト・ソング 人生の最後に聴きたい歌は』

昭和の時代には”変な歌”が急に脚光を浴びて、大ヒットを記録するということがしばしば起こった。そうした”変な歌”というのは単にコミカルだというのではなく、時代感覚的にも、音楽的にもユニークなものであった。...

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ちあきなおみが生で唄う演歌の名曲を使った久世光彦のドラマ『ちょっと噂の女たち』

昭和という時代を彩った人気テレビドラマ『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー一族』などの演出家で、プロデューサーでもあった久世光彦は、ドラマに使った劇中歌から「水色の恋」(天地真理)や「赤い風船」(浅田美代子)「昭和枯れすすき」(さくらと一郎)、「林檎殺人事件」(郷ひろみ・樹木希林)ほか、多くのヒット曲を送り出してきた。...

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久世光彦と阿久悠が作った沢田研二主演のドラマから生まれた「時の過ぎゆくままに」

1975年にオンエアされたテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』のテーマとして作られた「時の過ぎゆくままに」は、大ヒットを記録して沢田研二の代表作になった。 TBSの演出家でプロデューサーだった久世光彦は、沢田研二の魅力を最大限に引き立てるべく、彼が主演するドラマを企画した。...

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デビュー・シングルで「宝くじは買わない」と唄ったのに、買っている姿を加奈崎芳太郎に見られた忌野清志郎

RCサクセションは1972年に「ぼくの好きな先生」が少しヒットしただけで、それ以降はまったく売れない時期が数年間も続いて不遇だった。 しかし、1977年に生涯のパートナーになる女性と出会ったことで、忌野清志郎はこのまま売れない状態が続けば、未来に展望が開けないだろうと判断する。そしてバンドが成功する可能性について、真剣に模索し始めていったのである。...

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意味不明の歌詞でも大ヒットした森山加代子の「じんじろげ」は中村八大による多国籍ポップスの傑作

日本における”変な歌”の歴史において筆頭格、まるで意味不明な歌詞にもかかわらず1961年に大ヒットした「じんじろげ」は、インドが発祥地といわれる原曲をもとにした多国籍ポップスの傑作だ。 歌い出しの歌詞は「ちんちくりんのつんつるてん まっかっかのおさんどん おみやにがんかけた ないしょにしとこう」というものだが、当時からそれが日本語らしいとはわかっても、何を意味するのかまでは皆目わからなかった。...

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追悼・森山加代子の華やかな復活~「白い蝶のサンバ」を書いて強く推した阿久悠のカムバック・ソング論

打ちひしがれた人が希望を取り戻して、元気に立ち上がれるようになるには、どんな歌が必要とされているのか…? そんな作詞家の思いを象徴するような歌として生まれたのが、1970年の1月に発売されて3月9日から3週間、ヒットチャートで1位になった「白い蝶のサンバ」だった。...

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知られざる日本の名曲シリーズ~画期的な作曲コンテストから誕生した「片想い」

最初に「片想い」をオリジナル曲として唄ったのは、23歳の槇みちるだった。大阪出身の彼女は渡辺プロにスカウトされて歌手になり、1965年にビクターから洋楽カバーの「可愛いマリア」でデビューを果たした。...

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