バート・バカラックの代表作となった「遙かなる影(Close to You)」は、俳優のリチャード・チェンバレンが1963年にリリースしたシングルのB面曲だった。
その埋もれていた曲をカヴァーして大ヒットに導いたのが、リチャードとカレンの兄妹デュオからなるカーペンターズだ。
1969年に出した彼らのデビュー・アルバムは、兄のリチャードが書いたオリジナル曲中心だった。だが人気が高かったのは、ビートルズのヒット「Ticket To Ride(涙の乗車券)」曲を、バラード風にアレンジしたものだった。
そこでセカンド・アルバムには、ビートルズやバカラックのカヴァー曲が数多く取り入れられた。
その時期のバカラックはディオンヌ・ワーウィックが歌った「サン・ホセへの道(Do You Know The Way To San Jose)」で、1969年のグラミー賞に輝いていたところだった。
また映画『明日に向かって撃て!』の主題歌だった「雨にぬれても(RAINDROPS KEEP FALLIN’ ON MY HEAD)」で、アカデミー主題歌賞を受賞して脚光を浴びていた。
カーペンターズが演奏して歌った「(They Long to Be)Close to You」は、アルバムから5月20日にシングル・カットされると、7月25日には全米チャートで1位を獲得して兄妹デュオの名前は世界中へと知れ渡った。
日本でも「遙かなる影」が大ヒットする直前の1970年4月25日、藤圭子は自伝的要素の強い「圭子の夢は夜ひらく」がファースト・アルバムからシングル・カットされて、たちまちのうちにブレイクした。
それはまるで洋楽のような出来事であり、藤圭子は18歳にして時代の寵児となっていく。
不条理の大人の世界に生きてきた少女の身の上話のような「圭子の夢は夜ひらく」には、社会的には弱者と呼ばれるたちの吐き出す思いや、言葉にはならない叫びが込められていた。
”演歌の星”や!宿命の少女”というキャッチフレーズで売り出されて、公私が渾然とした状態でスターになった藤圭子は、暗さをたたえた日本語によるブルースの魂と、ロックが持っているグルーヴを最初に表現した女性シンガーだった。
8ビートで細かくビブラートする彼女のハスキーな歌声は、日本人のブルースというものを体現していたといえる。

しかし当時の芸能界では、”金のなる木”に祭り上げられた少女に、定番の”演歌=怨歌”ではない楽曲を歌うことの自由は与えられなかった。
シンガーとしてのほんとうの魅力も実力も認められないまま、スタッフの戦略の過ちと不手際で人気は凋落していった。
それから10年あまりが過ぎて藤圭子は引退を発表し、自分の夢を実現すべくアメリカにわたって、新天地でたったひとりの挑戦を始める。
そして1983年1月19日、ニューヨークで長女が生まれた。
娘に「光」と名付けらた藤圭子は、こんな詩を書いている。
あなたが生まれたその日に 天使たちが集まって
そして決めたのよ 夢を実現させようって
光は14歳のときに母の藤圭子、父の宇多田照實とのファミリー・ユニット、「Cubic U」のヴォーカルとしてアメリカでデビューした。
そこで藤圭子によってデビュー・シングルに選ばれたのは、バート・バカラックが書いたスタンダード・ソングで、カーペンターズの代表曲となった「遙かなる影」だった。
どうして星たちはいつも、
あなたが歩く側から降ってくるのかしら?
そう、きっと私と同じ、星たちも
あなたのそばにいたいのね
母の夢はそれからまもなく、故郷の日本で叶うことになる。
ちなみに1970年に出た藤圭子のシングル盤「圭子の夢は夜ひらく」のジャケット左下には、『光のプレゼント・レコード』と記されてある。
そして「このレコードの収益は恵まれない人々の施設へ贈られます」という説明がついていた。
(注)本コラムは2014年4月11日に公開されました。


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