イギリスのアニマルズが1964年にロック・ヴァ―ジョンでカヴァーして、全米1位の大ヒットとなって世界中に広まったのが、「朝日のあたる家(House Of The Rising Sun)」である。
原曲はアメリカのトラディッショナル(伝承歌)で、ウディ・ガスリーやレッドベリーらフォーク・シンガーによって歌い継がれてきた。
ニューヨークのフォーク・リバイバルでも注目されて、ボブ・ディランも1962年にデビュー・アルバムで取り上げている。
なおディランのドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』(2005年)では、デイヴ・ヴァン・ロンクがインタビューのなかで、自分がレコーディングするつもりでいたのに、ディランに先をこされたと語っていた。
アニマルズのヴァージョンでは主人公が男性に変えられたために、オリジナルよりも曖昧な内容になっているのだが、この歌は『恋人がギャンブラーで、町から町を転々とするうちに、犯罪を犯し、最後にはニューオーリンズの娼婦の館「the rising sun」で働くまでに堕ちてしまった』という、悲しい女の身の上話である。
日本ではロカビリー出身の歌手だった尾藤イサオの歌でヒットしたが、浅川マキが原詩のニュアンスを生かした日本語の歌詞でカヴァーしたことで、そこからほんとうの意味で浸透して広まった。
朝日楼(朝日のあたる家) 作詞:浅川マキ 作曲:アメリカ民謡
私が着いたのは ニューオーリンズの
朝日楼という名の 女郎屋だった
愛した男が 帰らなかった
あの時 私は 故郷(くに)を出たのさ
1992年から音楽活動を停止したまま、沈黙を続けていたちあきなおみの未発表ライヴ音源が、新たに数曲、テープで発見されたのは2002年の秋だった。
そのなかにはコンサートやTVでも歌ったことで、幻の熱唱としてファンに語り継がれてきた「朝日のあたる家」が含まれていた。
「ちあきなおみ VIRTUAL CONCERT 2003 朝日のあたる家」というCDは、2003年の春にテイチクから発表された。
これはちあきなおみのバーチャルなライブ・コンサートという趣向のアルバムだ。
そこでは12曲目が「黄昏のビギン」、13曲目が「朝日のあたる家」という並びになっている。
遠い日の淡い恋心をノスタルジックに歌った「黄昏のビギン」の直後に、恋心の行き着いた果ての半生を懺悔するかのように、娼婦に身を落とした女性の痛切な歌が続くという流れだ。
ちあきなおみの絶唱によって、この2曲は聴き手に強い印象を残すことになっ。
(本コラムは2014年4月4日に公開されました)

The post ボブ・ディランの「朝日のあたる家」から40年、ちあきなおみのライブ音源が発見された…… appeared first on TAP the POP.