1995年の夏に「横浜みなとみらい21臨港パーク」にて開催されたサザン・オールスターズのコンサート『スーパーライブ in 横浜 ホタル・カリフォルニア』で、サプライズ・ゲストとして出演した西城秀樹
は代表曲の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を披露した。
終演後にゆっくり話しができたという桑田圭佑は西城秀樹と学年が同じだったが、ロックの先駆者に対する感謝の思いをこのように語っていた。
「本当に実直で、誰に対してもフランク。同い年だけど、兄貴みたいでね。ライブの楽屋で1時間くらい、初めてじっくりお話をさせていただいたんだけど、打ち解けられるように気配りして話してくださって。大好きで、またいつかご一緒したかった。日本の音楽界を大きく作り変えた方だと思う。本当にありがとうございました」
桑田圭佑がカヴァーした西城秀樹の作品には2008年の「情熱の嵐」、2013年の「傷だらけのローラ」、2018年の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」がある。
どちらもソロのライブとして行われたチャリティ・イベント「Act Against AIDS LIVE」における企画だったので、結果的には映像とともに音源が残されることになった。
そして日本の歌謡曲を集大成したライフワーク、『ひとり紅白歌合戦』のBOXに収録されて発売されている。
その他にも2018年の5月16日に急逝した西城秀樹を追悼した自分のラジオ番組『やさしい夜遊び』(5月19日放送)のなかで、ギターの弾き語りでカヴァーした「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」が絶品だったという声もある。
一方の西城秀樹は自分が本当に好きで影響を受けた楽曲については、デビュー後まもなくから積極的にコンサートでカヴァーしている。
とくにロック色が強い洋楽のカヴァーに関しては楽曲を選ぶセンスもいいし、自分の中で昇華させてからの表現も突出していた。
1979年8月24日に後楽園球場において開催された『BIG GAME ’79 HIDEKI』は、激しい雨の中での開催で有名になった2枚組のアルバムだが、伝説として語り継がれるキング・クリムゾンの「エピタフ」と同じDisk1のB面1曲目が「いとしのエリー」だった。
オリジナルの発売日がその年の3月25日だったのだから、その直後にカヴァーしようと決めていたのだろう。
そういう決断の速さが見事である。
サザン・オールスターズは1978年にデビュー・シングルの「勝手にシンドバッド」がヒットしたことで、青山学院大学の学生もいたのにメジャー・デビューしてプロ活動を始めた。
デビューした当初は見た目の若々しい印象からして、都会に住む恵まれた家の学生たちだと思われて、一発屋的な見方をされたこともあった。
しかし3枚目のシングルとして発売した「いとしのエリー」で音楽的な評価を確かなものにして、そこからはライブの積み重ねによって着実にバンドとしての成長を遂げていった。
また1988年の『Keisuke Kuwata』から、バンドと平行して桑田佳祐はソロ活動を始めた。
そこから実に多様な活躍を経ていくなかで、バンドも維持しながら今日に至っている。
ところで西城秀樹がカヴァーした「いとしのエリー」は、あえてクセの強さを打ち出していた桑田佳祐の歌唱に比べると、切なさに満ちていて素直なのだが、聴きやすくて深みもある。
最初から最後まで聴きどころなのだが、とくに2番のサビ前の「♫ エリー」のひとことと、最後に声をつぶし気味にした「♫ エリー」からは、独特のロック衝動が伝わってくる。
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