西城秀樹がカヴァーした日本のスタンダード曲①~サザン・オールスターズ「いとしのエリー」
1995年の夏に「横浜みなとみらい21臨港パーク」にて開催されたサザン・オールスターズのコンサート『スーパーライブ in 横浜 ホタル・カリフォルニア』で、サプライズ・ゲストとして出演した西城秀樹 は代表曲の「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」を披露した。 終演後にゆっくり話しができたという桑田圭佑は西城秀樹と学年が同じだったが、ロックの先駆者に対する感謝の思いをこのように語っていた。...
View Article久世光彦特集~小泉今日子と浜田真理子によるライブ『マイ・ラスト・ソング』
テレビドラマのディレクターとして「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー一族」等のヒットシリーズを手がけ、向田邦子と組んだ「スペシャルドラマ傑作選」などを遺した演出家の故・久世光彦は、文筆家・作詞家としても活躍した。 久世は2008年3月に急逝するまで、昭和の忘れえぬ風景や記憶、時代を題材にした「歌」についてのエッセイを、「マイ・ラスト・ソング」というテーマで14年間にわたって雑誌連載した。...
View Article1972年12月25日~クリスマスにちなんだバンド名のキャロルが「ルイジアンナ」でデビュー
1972年10月1日、フジテレビで夕方に生放送でオンエアされていた若者向けの情報番組『リブ・ヤング!』で、「ロキシー・ファッション」という企画が取り上げられた。 4人全員がリーゼントに革ジャンという出で立ちのバンドが、そこで自分たちのオリジナルを1曲だけ歌って演奏した。 そのバンドはキャロルという名前だった。...
View Article映画『明日に向って撃て!』から生まれたスタンダード曲の「雨にぬれても」
当代一のソングライターとしてバート・バカラックの名前を全世界に知らしめた1曲が、「雨にぬれても(Raindrops Keep Fallin’ On My Head)」である。 ジョージ・ロイ・ヒル監督の西部劇映画『明日に向って撃て!』の挿入歌として、1969年に作られた楽曲だった。...
View Article西城秀樹がカヴァーした日本のスタンダード曲②~矢沢永吉のソロ・アルバムから「恋の列車はリバプール発」
1977年にリリースされた西城秀樹のカヴァー・アルバム『ロックンロール・ミュージック』は、そのタイトルからしてビートルズを連想させるものだった。 そしてこのアルバムの最後を飾っていたのが、矢沢永吉の「恋の列車はリバプール発」であった。 こちらもまたタイトルと歌詞から想像できるように、ビートルズのことを歌った楽曲だった。...
View Article山口百恵が初めてシングルチャートの1位になった「冬の色」と、初主演の映画『伊豆の踊り子』
1974年12月10日に発売された「冬の色」は、初めてオリコンのシングルチャートで1位を獲得するヒットを記録した。そしていつも以上に長い期間にわたって、シングル・レコードが売れ続けていく。 そして「冬の色」がヒットチャートを駆け上っていくのと同じタイミングで、初の主演映画となった『伊豆の踊子』が年末から年始にかけて、東宝系の劇場で公開になった。...
View Article追悼・橋本治~仮面をつけることを知らない山口百恵によって「ひと夏の経験」で表明されたもの
1974年の夏に「ひと夏の経験」が発表されると、オリコンのチャートでは最高3位になり、デビュー1年目にして山口百恵にとって最大のヒットとなった。 その一方で「歌の意味が分かっているのか」「歌が下品だ」「不良少女の歌」などいう非難、あるいは苦情や批判がマスメディアに取り上げられて、バッシング的な扱いも見られるようになった。...
View Article音楽史のターニングポイント「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか」の論争
今からもう50年ほど昔のことになるが、ある座談会をきっかけにして、”日本語のロック”について真剣な論争が起こった。 「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか」 今になって振り返れば、その論争は歴史の必然だったということがわかる。 タウン誌の先駆けとなった「新宿プレイマップ」1970年10月号に掲載されたその座談会は、「喧論戦シリーズ②ニューロック」と題されていた。...
View Article松本隆と大滝詠一の才能が出会いがしらに衝突して生まれた「春よ来い」~〈吐きすて〉の歌の系譜①
1973年9月21日、東京・文京公会堂で開かれたはっぴいえんどの解散コンサートが終わって、ライブ音源をレコードにするためにミックスしていたスタジオで、アンコールに登場したバンドを代表して大滝詠一が客席に向かって放った言葉を聞いた時の反応が面白い。 「もうこの4人でないと出来ない曲を、これから2曲続けてやります」 松本隆はそれを聞いて一緒にいた鈴木茂に向かって、思わず「いいね」と呟いたという。...
View Article何も言わずに待ってくれた大滝詠一に「君は天然色」を書いて応えた松本隆
松本隆は1985年の11月から12月にかけて、朝日新聞の夕刊で週1回『新友旧交』というコラムを8週にわたって書いていた。 そのときに「待ってくれた大滝」と題して、アルバム『A LONG VACATION(ロング・ヴァケイション)』が誕生したときの経緯を明かしている。 大滝詠一について語ろうとすると、もう十数年のつきあいになるのに、彼のことを何も知らないような気がしてくる。...
View Article紅白歌合戦に出場が決まった”美空ひばりAI”を支えているのはボカロを開発してきたヤマハの技術
IT・ネットの最新事情を伝える「ITmedia NEWS アンカーデスクマガジン」に、NHKスペシャルでオンエアされた美空ひばりのAIに関するニュースが掲載されたのは2019年09月30日のことだった。 ヤマハは9月29日、NHK総合で放送されたドキュメンタリー番組「NHKスペシャル AIでよみがえる 美空ひばり」の中で、AIの技術を活用して再現した美空ひばりさんの新規音声を披露した。...
View Articleロンドンのリハーサル・ルームでトシ矢嶋が聴いたクラッシュの「ロンドン・コーリング」
写真・トシ矢嶋 カメラマンで音楽ライターでもあるトシ矢嶋は、サディスティック・ミカ・バンドを率いてイギリス・ツアーを行った加藤和彦と出会ったことから、彼の後押しで1975年にイギリスに渡った。 そして台頭してきたパンクとニューウェイブをはじめ、UKミュージック・シーンに起こっていたリアルタイムの動きを、現地からの最新のロンドン情報として雑誌やラジオを通じて日本に発信していった。...
View Article革命的なブームを巻き起こしたクレージーキャッツの”変な歌”③「無責任一代男」
1961年の「スーダラ節」から始まったヒット曲によって植木等ブームが到来し、クレージーキャッツが疾風怒濤の快進撃を始めた1962年、記念すべき映画『日本無責任時代』が製作された。 その主題歌として作られたのが「無責任一代男」である。 この時、主題歌に先行して映画の脚本を書いていたのは、東宝で企画部の社員として働いていた田波靖男だ。...
View Articleジョニ・ミッチェルの哲学的な歌詞、「Both Sides Now / 青春の光と影」
1967年3月の初頭、ジョニ・ミッチェルは後にノーベル賞を受賞する作家、ソール・ベローの「Henderson the Rain King(雨の王ヘンダソン)」を読んでいた。 その文中に書かれていた一行から、彼女は強いインスピレーションを受け取ったという。 人が雲を見上げ、また見下ろせるようになった時代に、死ぬことなど恐れるに足らずだ...
View Articleナット・キング・コールが日本語で歌ってくれた「L-O-V-E」をカヴァーして歌い継いだ美空ひばり
1930年代から傑出したジャズ・ピアニストとして活躍していたナット・キング・コールは、ジャズからポピュラー界へと活動の場を広げ、シンガーとして白人からも支持されて、“キング”の愛称を得ていた。 “白い黒人”とも呼ばれたコールは、そのふくよかな低音で世界中の音楽ファンを魅了していく。...
View Article” 変な歌 ”を構成するふたつの要素を満たしていた平山みきの「真夏の出来事」
流行歌の世界では、ときどき変な歌が突然現れてヒットすることがある。 《変な》というのは、言いなおせば《変に新しい》――つまり、いままであまり聴いたことのない曲想と、これまたユニークな歌い方の歌手と――二つが揃った歌のことで、私にいま、そのベスト・スリーを挙げろと言われたら、年代順に①月がとっても青いから(菅原都々子)②愛のさざなみ(島倉千代子)③真夏の出来事(平山三紀)ということになる。...
View Articleイラストレーターの永井博による絵本の企画から始まった大滝詠一の『ロング・バケイション』
『A LONG VACATION(ア・ロング・バケイション)』というアルバムは、当初は”夏のアルバム”として企画されたものだった。 きっかけとなったのはCBSソニー出版から1979年7月25日に発売されたビジュアルブック、イラストレーターの永井博の<絵本>である。 そこに「ロング・バケーション」と名づけたのが大滝詠一で、<絵本>についてこのように語っている。...
View Article久世光彦特集~フランスの漫画祭で顕彰された昭和の天才絵師・上村一夫が歌う「坊やお空をごらん」
フランスのアングレーム市で開かれるアングレーム国際漫画祭は、毎年1月末に開催されるヨーロッパ最大の漫画の祭典だという。 数百人にのぼる漫画作家と20万人以上の漫画ファンが世界中から集まり、数々の展覧会やイベントが開かれてにぎわう。 そし優れた作品に対して最優秀作品賞の表彰が行われるほか、漫画の発展に寄与した作家にグランプリに選ばれる。...
View Article寺山修司が世に出した”ふたりのマキ”①浅川マキの世界「かもめ」
浅川マキが2010年に突然のように亡くなった後、音楽プロデューサーの寺本幸司はCDのライナーノーツでこう述べている。 蠍(さそり)座で、寺山修司構成演出で、浅川マキ公演をやった。 毎夜10時開演というライブで、かなりの冒険で心配だった。 でも、蓋を開けたら、ドアが閉まらないほどの連日満員で、成功した公演となった。 (「Long Good-bye to MAKI」ライナーノーツ)...
View Article加藤和彦が「ミカと結婚するから、その祝いに作ったことにしよう」と言った歌~「あの素晴しい愛をもう一度」
ザ・フォーク・クルセダース時代からパートナーを組んでいた加藤和彦と北山修(きたやまおさむ)、この二人のソングライターが作った歌の中で、もっとも知られる代表曲が「あの素晴しい愛をもう一度」だろう。 この歌が誕生したことについては、二つの異なる説が存在していた。...
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