最新の技術を活用して新曲を唄った”美空ひばりAI”を支えているのは「VOCALOID」を開発してきたヤマハの技術
IT・ネットの最新事情を伝える「ITmedia NEWS アンカーデスクマガジン」に、NHKスペシャルでオンエアされた美空ひばりのAIに関するニュースが掲載された。(2019年09月30日17時27分)https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1910/02/news076.html...
View ArticleAIの美空ひばりに書き下ろされた新曲「あれから」と、阿久悠が小林旭に書いた隠れた名曲の「あれから」
話題になったNHKスペシャルの美空ひばりAIによる新曲のタイトルが、「あれから」というものであったことに驚かされた。 なせならば、元の夫であった小林旭が10数年前にまったく同じタイトル曲を、シングルとして発表していたからである。 しかも小林旭の「あれから」は隠れた名曲として、知る人ぞ知る歌だったのだが…。 「あれから」 作詞:阿久悠. 作曲:鈴木キサブロー 心が純で 真直ぐで キラキラ光る...
View Article精緻なアンサンブルと独特の緊張感が世界的なヒットにつながった「見つめていたい」
アルペジオによる美しいギターのリフと、すべての贅肉を注ぎ落としたようなドラムとベース、そしてスティングの魅力的なヴォーカルによる「見つめていたい(Every Breath You Take)」はポリスの代表曲であり、ロックのスタンダード曲としても知られている。...
View Article再起不能と心配された美空ひばりが復帰作「みだれ髪」のレコーディングで見せた女王の矜持
1987年3月のはじめ、作詞家の星野哲郎は常磐線の特急「ひたち3号」に乗って、福島県いわき市にある塩屋岬へ向かった。 長期入院を余儀なくされていたひばりが退院して、病からの復帰第一作となる新作をコロムビア・レコードから頼まれたからだ。 前の年に病に倒れて危機にあった美空ひばりの復帰作をつくるに当たって、作詞を星野に、作曲を船村徹に依頼したのは、コロムビアで長くディレクターを担当していた森啓である。...
View Articleザ・バンドの名曲「ザ・ウェイト(The Weight)」のカヴァーを世界中の音楽家が唄って演奏するヴィデオ
ロビー・ロバートソンがリンゴ・スターやマーカス・キング、ルーカス・ネルソン、そして日本を代表するギタリストのCharなどのアーティストを迎えて、ザ・バンドの名曲「ザ・ウェイト(The Weight)」のカヴァーを演奏したミュージック・ヴィデオが公開されている。 一連のカヴァー曲による“Playing for...
View Articleロビー・ロバートソンが自伝で明らかにした「ザ・ウェイト」誕生の経緯と、”ナザレス”という歌詞が意味するもの
ザ・バンドの「ザ・ウェイト(The Weight)」は1969年に発表された当時から、歌詞が難解だという声が多く、言わんとすることがよくわからないとも言われてきた。 それは「ナザレス」とか「モーゼス」とか、あるいは「ルカ」といったキリスト教にまつわるような固有名詞が、歌詞の中に散らばっていたからだった。 たしかに歌いだしの1行目から、早くも「♫ I pulled into...
View Article石田長生が初めて日本語のブルースを感じたという西岡恭蔵の「プカプカ」
1971年の来日公演で体験したB.B.キングの強烈なチョーキングテクニックと、歌ったり泣いたりしているギターに圧倒されて、石田はブルース・ギタリストとして生きようと道を定めたという。 それからはギター一筋に励んで切れ味のいいビート感とテクニック、ブルースマンの精神と音楽への情熱で関西では引っ張りだこのギタリストになっていく。...
View Article東京から来たミュータント~きたやまおさむが出会った頃の加藤和彦
ザ・フォーク・クルセダーズの加藤和彦が、当時は誰も思いつかなかったようなナンセンスでコミカルな歌、「帰って来たヨッパライ」をつくったことによって、200万枚を軽く超える記録的なヒットを放ったのは20歳のときである。 そこから遡ること2年半前、京都府立医科大学の学生だった北山修は雑誌「メンズ・クラブ」の読者投稿欄に掲載された、加藤からの呼びかけに目をとめた。...
View Article加藤和彦との結婚、そしてサディスティック・ミカ・バンドの誕生
京都の平安女学院に通っていた福井光子(ミカ)が、加藤和彦と出会ったのは高校2年生、17歳の秋のことだ。 龍谷大学の学生だった加藤はザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだったので、京都の若者たちの間ではちょっとした人気者になっていた。...
View Articleビッグピンクの地下室から生まれたボブ・ディランとザ・バンドの「アイ・シャル・ビー・リリースト」
ザ・ホークス(後のザ・バンド)のロビー・ロバートソンが、知人の紹介でボブ・ディランと会ったのは1965年のことだった。 ツアー・バンドのギタリストを探していたディランは、ひとまず2本のライブでロバートソンに参加してもらった。 そしてロバートソンを気に入ったディランは、すぐに追加のツアーにも参加するようにと依頼してきた。...
View Article日米の壁を超えてシンセサイザーの冨田勲が『月の光』で全米クラシカル・チャートでベストテン入り
冨田勲のアルバム『Snowflakes Are Dancing(雪は踊っている)』がビルボード誌の全米クラシカル・チャートで、ベストテン入りの快挙を果たしたのは1974年10月19日のことだった。 このアルバムは4月に発売されてから半年近くもの間、”ベスト100内にチャートインしていたのだが、10月に入ってから18位、14位と上昇して19日に6位になった。...
View Article27歳のちあきなおみは本当にうたいたい歌を求めて長い旅に出た
1974(昭和49)年10月22日と23日の2日間、「ちあきなおみリサイタル」が東京・中野サンプラザホールで開催された。 演出はTBSの音楽番組のプロデューサーだった砂田実、構成作家は松原史朗、アレンジャーには宮川泰、伴奏がビッグバンドの高橋達也と東京ユニオン、それに60人ものストリングスが加わった大編成だった。...
View Articleちあきなおみが発表した最後のオリジナル曲となった1991年の「紅い花」
ガンで入院していた夫の瀬川鍈治と死別したのをきっかけに、ちあきなおみは表舞台から姿を消してしまった。 1992年の9月のことである。 もっとも良い理解者であり続けたプロデューサーでもあった夫の死は、何にも代えがたいものだったのだろう。 関係者に伝えられたちあきなおみからのメッセージは下記の文言のみで、それを最後に彼女は一切の芸能活動を休止した。...
View ArticleB面だったので制約にとらわれず48秒もある長いイントロになった五輪真弓の「恋人よ」
1972年に発表されたアルバム『五輪真弓/少女』は、シンガー・ソングライターのアルバムとしては日本で最初のロスアンゼルス録音で、しかもその当時にアルバム『TAPESTRY(つづれ織り)』が大ヒットしていたキャロル・キングがレコーディングに参加したことで話題になった。...
View Article追悼・遠藤賢司~確固たる意志を持って純音楽をめざした孤高の一匹オオカミ
〈写真・1971年中津川全日本フォークジャンボリーにおけるバックステップの遠藤賢司 撮影・井出情児〉 1969年10月28日、お茶の水にあった全電通会館ホールで日大闘争救援会が主催するコンサート、『ロックはバリケードをめざす』が開催された。 出演したのは遠藤賢司、早川義夫、ばれんたいん・ぶるー、ブラインド・レモン・ジェファーソンなどである。...
View Article追悼・レオン・ラッセル~日本でもヒットした「タイトロープ」と桑田佳祐に受け継がれたロック
偉大なるミュージシャンが亡くなっても、その精神や楽曲が次の世代に受け継がれていくことで、音楽は生き続けることができる。 それを引き継いでいくことが、ほんとうの意味で追悼ということにもなるのだろう。 1942年に南部のオクラホマ州に生まれたレオン・ラッセルは10代の半ばからロスアンゼルスに出て、セッション・ギタリストとしてその長いキャリアをスタートさせた。...
View Article紅白歌合戦に出場が決まった”美空ひばりAI”を支えているのはボカロを開発してきたヤマハの技術
IT・ネットの最新事情を伝える「ITmedia NEWS アンカーデスクマガジン」に、NHKスペシャルでオンエアされた美空ひばりのAIに関するニュースが掲載されたのは2019年09月30日だった。 ヤマハは9月29日、NHK総合で放送されたドキュメンタリー番組「NHKスペシャル AIでよみがえる 美空ひばり」の中で、AIの技術を活用して再現した美空ひばりさんの新規音声を披露した。...
View Articleオフコースの「眠れぬ夜」をカヴァーした西城秀樹~音楽を受容するその非凡なる能力
長いキャリアのアーティストやバンドには、音楽的な転機となったアルバムや曲が存在する。 そこから明らかに何かが変わったという作品ということでいえば、オフコースにとって決定的だったのは1975年12月20日発売のアルバム『ワインの匂い』であり、収録曲として発表されて同時発売のシングルになった「眠れぬ夜」だった。 これがオフコースにとっては、小規模ながらも最初のシングルヒットになった。...
View Article『鉄腕アトム』~日本で最初のアニメソングを詩人の谷川俊太郎が手がけることになった理由
漫画『鉄腕アトム』のTVアニメ第1作がフジテレビをキー局に、関西テレビ、東海テレビ、九州朝日放送、仙台放送、広島放送の6局ネッチで始まったのは1963年1月1日である。 オンエアが始まる少し前の11月5日と6日の二日間、東京・銀座のヤマハホールでは「第1回虫プロダクション作品発表会」が開催された。...
View Article内田裕也がカヴァーしたレイ・チャールズの「ワット・アイ・セイ」~精神はロックそのものだが意外に穏やかな歌声
これは今年の3月17日に亡くなった内田裕也氏のツイッターに書いてあった自己紹介である。(2019年11月19日現在) My name is Yuya Uchida....
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