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Channel: 佐藤 剛 – TAP the POP
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西城秀樹がカヴァーした作品から知る洋楽のスタンダード曲③~キング・クリムゾンの「エピタフ」

1968年に結成されたキング・クリムゾンは、アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』で1969年にデビューした。 プログレッシブ・ロックを確立させた初期のキング・クリムゾンは、アメリカに生まれたロックンロールを起点にして、クラシックやジャズの要素を取り入れることで、ロックを大きく発展させることに貢献した。...

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精緻なアンサンブルと独特の緊張感が世界的なヒットにつながった「見つめていたい」

アルペジオによる美しいギターのリフと、すべての贅肉を注ぎ落としたようなドラムとベース、そしてスティングの魅力的なヴォーカルによる「見つめていたい(Every Breath You Take)」はポリスの代表曲であり、ロックのスタンダード曲としても知られている。...

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11月4日にニューヨークで開かれたボブ・ディランの初コンサートには53人の客しかいなかった

ボブ・ディランの初コンサートが行われたのは1961年の11月4日、場所はニューヨークのマンハッタン7番街と57丁目の一角を占めるカーネギー・ホールだった。 ただし、カーネギー・ホールとはいっても音楽の殿堂として知られている大ホールではなく、リハーサル・ルームのひとつ、チャプター・ホールが会場だった。 そして客席100のホールには53人の客しか入ってなかったとも言われる。...

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「ボブ・ディランは最高のカントリーシンガーだと思った」と語ったジョニー・キャッシュ

ジョニー・キャッシュが自分と同じレコード会社のCBSが出したという新人、ボブ・ディランの歌を聴いたのは1962年5月、ツアー中でラスベガスに来ていた時だった。 CBSの伝説的なA&Rマンだったジョン・ハモンドが見出した新人のフォーク・シンガーについて、キャッシュは「最高のカントリー・シンガーだと思ったんだ。本当にね」と振り返っている。...

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ディランがカントリーの聖地、ナッシュビルに求めた救い

1969年2月、ボブ・ディランはカントリーの聖地、ナッシュビルにいた。 激動する時代の波にのまれ、バイク事故による休養も重なってコンサートから遠ざかっていたディランが、復活を図るために選んだ地がナッシュビルだった。 スタジオで新作のレコーディングを終えようとしていたある日、隣でレコーディングしていたジョニー・キャッシュが挨拶しにくる。...

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ビッグピンクの地下室から生まれたボブ・ディランとザ・バンドの「アイ・シャル・ビー・リリースト」

ザ・ホークス(後のザ・バンド)のロビー・ロバートソンが、知人の紹介でボブ・ディランと会ったのは1965年のことだった。 ツアー・バンドのギタリストを探していたディランは、ひとまず2本のライブでロバートソンに参加してもらった。そしてロバートソンを気に入ったディランは、すぐに追加のツアーにも参加するようにと依頼してきた。...

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ディランの「ジャスト・ライク・ア・ウーマン」を聴いて突然、こんなふうに書けばいいのだと分かったんだよ

1969年にアンドレ・カンドレという芸名で登場した井上陽水のデビュー曲「カンドレ・マンドレ」のアレンジをしたのは、フォーク・グループの六文銭を率いていた小室等だった。 小室はレコーディングが終わってから、まだ地元の福岡から出てきたばかりだった陽水を、どういうわけか自宅に招いた。緊張して上がってしまった陽水は、用意された鍋をほとんど食べれなかったらしい。...

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『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』で最初にレコーディングされたポール・マッカトニーの曲

1967年に発表されたビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に収録されている「ホェン・アイム・シックスティー・フォー」は、1966年の11月から始まったサージェント・ペパーズのレコーディング・セッションでは2曲目にレコーディングされた。...

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50年の歳月を経て新しく生まれ変わった『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』

1967年6月1日、ザ・ビートルズは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を発表。イギリスのアルバム・チャートでは27週にわたって1位の座をキープした。 アメリカのチャートでも6月24日から15週間も1位となって過去最大の売上を記録し、グラミー賞では「最優秀アルバム賞」「最優秀現代アルバム賞」「最優秀アルバム・カバー賞」「最優秀技術アルバム賞」を受賞した。...

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初期のボブ・ディランによるプロテスト・ソングの傑作「ハッティ・キャロルの寂しい死」

ボブ・ディランの「ハッティ・キャロルの寂しい死(The Lonesome Death of Hattie Carroll)」は、1963年に起きた殺人事件に題材を得て作られたプロテスト・ソングの傑作といわれる。 冒頭から殺人が淡々と語られるところなどは、殺人を克明に描いた”マーダー・バラッド”と呼ばれる曲の影響を感じさせる。...

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映画『明日に向って撃て!』から生まれたスタンダード曲の「雨にぬれても」

当代一のソングライターとしてバート・バカラックの名前を全世界に知らしめた1曲が、「雨にぬれても(Raindrops Keep Fallin’ On My Head)」である。 ジョージ・ロイ・ヒル監督の西部劇映画『明日に向って撃て!』の挿入歌として、1969年に作られた楽曲だった。...

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日本のコマソンはカッコわるいと思っていた小林亜星の出世作となった「レナウン・ワンサカ娘」

1961年にCMソングとして誕生して以来、かまやつひろしの歌唱によって始まったテーマソング「レナウン・ワンサカ娘」は、敗戦から復興しつつあった日本の高度成長期の勢いを反映していた。 この歌がとくに知られるようになったのは、1964年に弘田三枝子の唄ったヴァージョンが有名になってからだった。...

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若き小林亜星の才能が最初に注目されたアニメ音楽と主題歌~『狼少年ケン』

手塚治虫率いる虫プロダクションが制作し、国産のTVアニメ第1号となった『鉄腕アトム』の放送が1963(昭和38)年の元日から始まった。 それが高視聴率を得たことによって、本格的なTVアニメの時代が到来することになる。 10月には『鉄人28号』、11月には『エイトマン』と『狼少年ケン』のオンエアが始まり、いずれも人気番組となったのだ。...

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ロック・バンドを目指していたファニーズがザ・タイガースになったことで誕生した日本のGS

1966年5月10日、京都会館第一ホールで行われた「全関西ロックバンド・コンテスト」で、約30バンドを抑えて優勝し、賞金をものにしたのは京都出身の「ファニーズ」だった。...

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ボ・ディドリーにインスパイアされて生まれたローリング・ストーンズの「19回目の神経衰弱」

ザ・ローリング・ストーンズのシングル「19回目の神経衰弱」は、53年前の1966年2月5日にUKで、2月12日にはUSでも発売された。 その新しいリリック・ビデオがオフィシャルサイトで、2019年2月5日から公開されている。今、もう一度「19回目の神経衰弱」がやってくる、ということなのだろうか。 やってくる、やってくる、やってくる、やってくる あんたの19回目の神経衰弱がやってくる、...

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伝説となったクレイジーキャッツとザ・ピーナッツの番組『シャボン玉ホリデー』が始まった

1961年6月4日に『シャボン玉ホリデー』が放送開始したときの視聴率は10,1%で、それが9月まで続いていたが、10月から急に16%前後に跳ね上がった。 その理由は明快だった。8月20日に発売されたクレイジーキャッツの植木等が歌った「スーダラ節」が、10月頃から大ヒットになり始めたのだ。 そこから3か月で20%に到達する回が出ると、その1年後には25%を超えるようにまでなっていく。...

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「シャボン玉ホリデー」のテーマ曲として永く記憶されるザ・ピーナッツの「スターダスト」

「スターダスト」はソングライターで俳優のホーギー・カーマイケルが、1927年に発表したスウィング・ジャズのスタンダード。 ミッチェル・パリッシュにより歌詞がつけられたのが1929年のことで、その後はビング・クロスビーを筆頭に数多のヴォーカリストによっても歌い継がれていった。 フランク・シナトラ、ナット・キング・コール、ナタリー・コールと、日本でも人気のあったシンガーたちがレパートリーにした。...

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追悼・寺尾次郎(1)~音楽から映画へ道に進み、字幕翻訳家になったシュガー・ベイブのベーシスト

小学生の頃から映画が好きだった寺尾次郎は、よく叔母さんに東宝の怪獣映画と青春ものと外国映画の3本立てに連れて行ってもらったそうだ。 音楽活動を始めていた大学時代はベーシストだったが、1975年3月から山下達郎が率いるシュガーベイブに参加し、翌年4月1日の解散ライブまでメンバーとして活躍した。...

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追悼・寺尾次郎(2)~ゴダールの名を不滅にした『気狂いピエロ』で語られるランボーの詩の一節

盗んだ車を乗り継いでパリからフランスを南下し、地中海に向かう男(ジャン=ポール・ベルモンド)と、かつて恋人だった女(アンナ・カリーナ)。女は男をピエロと呼ぶ。 殺人事件に巻き込まれた男がパリを後にするのは、退屈が見えている結婚生活と、しがらみに満ちた社会から脱出するためだ。だが、南仏にはいったい何があるというのか?...

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山本リンダの「恋のカーニバル」が「どうにもとまらない」に変わった経緯

人気作詞家になってヒット曲を量産し始めた阿久悠が、音楽業界に次なるイノベーションを巻き起こしたのは、旬を過ぎたアイドル歌手の山本リンダに書いた「恋のカーニバル」によってだった。 大人の歌手への脱皮を狙って作られたその歌は、若くてスタイルがよい女性がセクシーな衣装や振り付けで、テレビの画面からアピールして歌うことを前提にしていた。...

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