追悼・佐山雅弘~忌野清志郎の歌う「ヒム・フォー・ノーバディ」がレクイエムのように聴こえてくる
片山広明の訃報からわずか2日後の2018年11月14日、やはり忌野清志郎に縁があったミュージシャンで療養中だった、佐山雅弘が亡くなったというニュースが流れてきた。享年64。この人もまた早すぎる死であり、残念としか言いようがない。 佐山は、国立音楽大学作曲科在学中にピアニストとしての音楽活動を始めて、1984年からはリーダー作として20枚、PONTA BOXとして10枚のアルバムをリリースしてきた。...
View Article「明日なき世界」と「孤独の世界」を残して消えた若きシンガー・ソングライター~P.F.スローン
P.F.スローンの歌った「孤独の世界」は、日本人が発見して日本だけでヒットした貴重な曲である。 そんなシンガー・ソングライターのスローンについて、「恋はフェニックス」などで知られるシンガー・ソングライターのジミー・ウェッブが、その名も「P.F.スローン」という歌を作っている。 ずっとP.F.スローンを探している 彼の行方を知る者はいない 彼の歌を聞いた者もいない...
View Article大村憲司のギターからは詩が聴こえる~ロックからブルースへと源流をさかのぼっていった音楽家
音楽史に残る屈指の名ギタリストといわれた大村憲司が、まだ49歳という働き盛りで亡くなったのは1998年11月18日のことだった。それから20年以上が過ぎた今でも、彼のギターの響きが色褪せることはない。 急逝する2年前の10月30日、彼は日記を兼ねたノートにこんな文章を残していた。 もしあの’60年代の終わりから’70年代前半にかけての「ROCK...
View Articleアメリカのシンガー・ソングライターが日本語で、はっぴいえんどの「風をあつめて」を歌う時代
プリシラ・アーンは2012年に、はっぴいえんどの「風をあつめて」やスーパー・バター・ドッグの「サヨナラCOLOR」などの日本語曲も収録したアルバム、『ナチュラル・カラーズ』を発表している。これは日本のみならず韓国、台湾、中国といったアジア圏でもリリースされた。...
View Article大滝詠一が大胆な日本語ロックへのアプローチに挑んだはっぴいえんどの「颱風」とその後
日本の夏といえば良くも悪くも、台風とは切っても切れないつながりがある。そうした自然現象を題材にして日本語によるロックへのアプローチに挑んだのが、はっぴいえんど時代の大滝詠一であった。...
View Articleはっぴいえんどの「夏なんです」は日本語の歌詞にこだわった松本隆による“ラブソング”
立教の学生だった細野晴臣の家に、慶應に通う松本隆が来て、ロックに日本語は乗るのだろうかと、アルバム『ジャックスの世界』などを参考にしながら、勉強会に取り組んでいたのは1968年の秋のことだ。 1960年代末期から70年代の初頭にかけて、日本語のロックが生まれて来た背景には、欧米のロックに刺激を受けて始まったグループ・サウンズへの反発と失望があった。...
View Article小学生の頃から憧れていた小林旭のために、大瀧詠一が渾身の力を振り絞って作曲した「熱き心に」
大瀧詠一は長い間、自分がミュージシャンになったのは、「エルヴィス・プレスリーに憧れて、ロック・ミュージックに興味を持ったから」だと思い込んでいたという。 だが、実際にはアメリカのエルヴィスでなく、日本のアキラ、すなわち小林旭のほうが先だったことに、1970年代の後半になってから気づいた。それは、はっぴいえんどを解散した後に、日本の音楽史を改めて研究し始めてから分かったことだった。...
View Article時代を超えて登場した大滝詠一のニュー・アルバム『DEBUT AGAIN(デビュー・アゲイン)』の驚き
はっぴいえんど解散からソロとなった大滝詠一が、日本で初めてのミュージシャンズ・レーベル、ナイアガラを設立したのは1974年9月のことだった。 自らのプロデュースによって創りあげたナイアガラ・サウンドの集大成として、1978年8月25日にはベスト・アルバムが発売された。...
View Article『鉄腕アトム』~日本で最初のアニメソングを詩人の谷川俊太郎が手がけることになった理由
漫画『鉄腕アトム』のTVアニメ第1作が、フジテレビをキー局に、関西テレビ、東海テレビ、九州朝日放送、仙台放送、広島放送の6局ネッチで始まったのは、1963年1月1日のこと。 オンエアが始まる少し前の11月5日と6日の二日間、東京・銀座のヤマハホールでは、「第1回虫プロダクション作品発表会」が開催された。...
View Article浅川マキに魅入られた喜多條忠が、南こうせつとかぐや姫に書いた歌~「マキシーのために」
作詞家の喜多條忠が、初めて浅川マキの歌に出会ったのは1968年、銀座にあったシャンソン喫茶『銀巴里』でのことだ。まだ学生だった喜多條が『銀巴里』に入ったのはまったくの偶然だが、それが人生のターニング・ポイントになった。...
View Articleアメリカから輸入したフォークソングに演劇や現代詩を結びつけた小室等と六文銭の「雨が空から降れば」
小室等は、日本にまだ「フォークソング」という呼び名がなかった頃に、キングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」を聴いてギターを始めた。 1960年代の初頭にやってきた男性ファッションの新しい流れのなかで、「アイビー」や「コンチ」とともに、アメリカから輸入されたのが「フォークソング」だった。...
View Articleあえてプロテストソングと銘打って新しいアルバム『自由』を発表した結成50週年の六文銭
六文銭は、1968年に小室等が中心となって結成されたグループ。小劇場演劇から生まれた佳作の「雨が空から降れば」、ポップスの傑作とささやかれた「夏・二人で」、1971年の「第2回世界歌謡祭」のグランプリ受賞曲でゲスト・ヴォーカルの上條恒彦が歌った「出発(たびだち)の歌」などが代表作である。...
View Article自衛隊の市ヶ谷駐屯地で自決を遂げた日に三島由紀夫が歌った「唐獅子牡丹」
三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地において東部方面総監室を占拠し、憲法改正のために自衛隊の決起を呼びかけた後で、覚悟の自決を遂げたのは1970年11月25日のことだった。 何ごとにも几帳面だった三島由紀夫が事前に立てた計画は、小説や戯曲と同様に細部まで神経が行き届いていた。 およそ一年をかけて身辺をきれいに整理し、約束していた執筆や対談などの仕事を順に片付けていったのだ。...
View Article追悼・前田憲男~木の板に白と黒の鍵盤を書いた音が出ない”木(キ)ーボード”を弾いて練習していた天才少年
学生時代の宮川泰は、京都の美術大学に籍を置きながら友達とバンド組んで、夜は大阪のナイトクラブなどで演奏していた。 どういうわけか、宮川は人の演奏を真似て弾くのが得意で、誰か上手なピアニストがいると、その人の弾き方をそっくりに演奏するようになっていく。...
View Article平成を象徴する音楽家・椎名林檎が登場して日本語の歌に革新をもたらした1998年から99年
昭和元年と昭和64年は、ともに7日間しかなかった。したがって昭和という時代は、昭和2年から昭和63年まで、西暦にすれば1927年から1988年までの約62年間であった。 それを半分に割ると、前半が1927年から1957年まで、後半が1958年から1988年までの31年間となる。...
View Article椎名林檎「丸の内サディスティック」~昭和の「東京行進曲」にもつながっている、どこか扇情的なご当地ソング
椎名林檎の担当ディレクターだった東芝EMIの篠木雅博は、デビューに向けて楽曲制作の準備に入っていた頃、現場での仕事を減らしてプロデューサー的な立場に移行しつつあった。...
View Articleエレキギターと椎名林檎の「ギブス」、若者のロック離れとロックの初期衝動
音楽ファンに衝撃をもたらした「ギブソン経営破綻か」というニュースをめぐって、朝日新聞の「耕論」というページに3人の識者による見解が取り上げられたのは、2018年5月15日のことだった。 高級エレキギターで知られる米ギブソンが経営破綻した。若者のロック離れが言われるなか、エレキが音楽シーンにおいて「永遠の詩」だった時代は終わるのか。...
View Articleバート・バカラック育ちの椎名林檎
80歳を迎えたバート・バカラックの来日公演は、2008年2月に東京国際フォーラムで行われた。 「2008年の来日公演を家族と観ました。後から親戚も観ていて泣いたという話を聞いたり、結局、私の親しい人たちはみんなバカラック育ちなのだと思いました」 そう語ったのは日本のシンガー・ソングライター、椎名林檎である。...
View Articleビートルズが『ジューク・ボックス・ジュリー』で「HIT」のカードを上げた曲「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」
イギリスBBCの音楽番組『ジュークボックス・ジュリー』は、発売される新曲を聴いて審査員が評価するという内容で、新曲がヒットするかどうかをジュークボックスで聴いて、ヒットすると思ったら「HIT」のカード、ヒットしないと思ったら「MISS」のカードを出す。 1959年から始まった番組で、60年代にポップ・ミュージックが流行するとともに人気が出た。アルフレッド・ヒッチコック 、 スパイク・ミリガン 、...
View Article高額所得者に対するあまりにも高い税率を諷刺した、ジョージ・ハリスンの「タックスマン」
ビートルズのジョージ・ハリスンが、英国の税金制度に疑問を持ったのは20代の半ばにさしかかった頃のことだ1965年に多大な外貨を獲得した働きによって、ビートルズはイギリスから大英帝国勲章MBEを受勲したが、高額所得者として当時の税制における最高税率をかけられた。...
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