ビートルズを世に出したブライアン・エプスタインとジョージ・マーティン、二人が初めて会った日
いくら天賦の才能に恵まれたアーティストであっても、それが人に認められなければ歴史に残る歌は生まれないし、後世に伝わっていくこともない。そこには人と人との出会いがあり、いくつもの物語が存在している。 ビートルズが空前絶後の成功を収めて素晴らしい楽曲の数々を生み出したのは、ブライアン・エプスタインというマネージャーに出会ってからのことだ。...
View Article「レッキング・クルー」①~モンキーズの音楽を支えていた腕利きのスタジオ・ミュージシャンたち
その演奏は誰もが聴いて知っているのに、名前はほとんど知られてはいない。 そんな腕利きのスタジオ・ミュージシャンたちが、1960年代から70年代にかけてアメリカ西海岸のロスアンゼルスを中心に、目覚ましい活躍をしていた。...
View Article「レッキング・クルー」②ハル・ブレインの驚異的なドラムによる名曲たちの思い出
1964年の春にビートルズを体験する以前、ぼくが洋楽のポップスにした惹き寄せられたのは、1963年にカスケーズの「悲しき雨音」をラジオで聴いたのが最初だった。 曲が始まる前に鳴り響く突然の雷鳴と雨の音、雨粒を思わせる印象的なイントロからはじまると、甘い男性ヴォーカルとコーラスがせつなくもドリーミーな世界を描き出していく。...
View Article「マイ・ウェイ」はクロード・フランソワとフランス・ギャルの恋から生まれたフランスの歌だった
フランク・シナトラの代表曲として知られる「マイ・ウェイ」を作ったのは、1960年代から70年代にかけてフランスで活躍した歌手のクロード・フランソワである。 クロードは1978年に39歳の若さで夭折したが、フランスが生んだ国民的スターとして今でも愛され続けている。...
View Article大友良英の「学校で教えてくれない音楽」が教えてくれる音楽
歴史あるジャズの老舗「新宿PITINN」では2014年12月26日から29日まで、大友良英の4デイズ6連続公演が行われた。 最終日を飾ったのは16人のメンバーからなる大友良英スペシャルビッグバンド、「新宿PITINN」50周年を記念して発売されるCDのライブ・レコーディングが行われた。...
View Article忌野清志郎が「ホリプロ三羽ガラス」だった頃に初めて経験した”全国ツアーみたいなもの”
「ぼくの好きな〜」がヒットする前後、オレたちは初めて全国ツアーみたいなものを経験したよ。楽しかった。~忌野清志郎 1971年に「月光仮面」をヒットさせたモップスが、井上陽水とRCサクセションを前座に連れて全国をコンサートで回ったのは、その年の秋から翌年にかけてのことだった。...
View Article2019年に逝ってしまったレジェンド~内田裕也語録その1「ロックという生き方」
1976年に出版した著書「俺はロッキンローラー」(高平哲郎構成 講談社) の中で、当時の内田裕也が語っていた99人の著名人についてのコメントが残っている。 当時は30代の半ばだった内田裕也は、1974年8月に福島県郡山市で地元の有志が始めたワンステップフェスティバルに協力し、日本中のロックバンドの他に海外からオノ・ヨーコとプラスティック・オノ・バンドを呼んだことで大いに注目された。...
View Article内田裕也語録その2~「世界中の良いものを取って、テメエらにあわせなくちゃ…。でもそこから本物が生まれる時がある」
99人の著名人について内田裕也が語ったコメントをいくつか、1976年に出た最初の単行本「俺はロッキンローラー」から紹介したい。 ベンチャーズ ビジネスと音楽は別だけど、俺としては初期のベンチャーズに戻ってほしい。 石原慎太郎 首相になるのが目的じゃなく、人間らしい政治家になってほしい。「太陽の季節」のころのガッツはどこいった。 レイ・チャールズ 愛さずにはいられない。 井上陽水...
View Article内田裕也語録その3~「男としていちばん輝いてる10年間は人のために尽くしました」
内田裕也が1976年に出した初の単行本「俺はロッキンローラー」には、子どもの頃に思っていた「カッコイイニイチャン」になりたいという、素朴な憧れが語られている。 「見てるだけで、えれェカッコイイとかオモシロイなアッってのが、Rockなんだと思う」...
View Article追悼・内田裕也~売れていないRCサクセションをフェスティバルに出して多くのロック・リスナーに紹介したプロデューサー
RCサクセションは1979年の夏に、3年ぶりのシングル「STEP!」を発売した。しかし、プロモーションに力を入れた割に、レコードはまったく売れずに終わってしまった。 だからその時点の彼らは、「以前にフォークソングを唄っていたグループが、パンク・バンドみたいになった」という表層の変化だけで受け取られた。...
View Article内田裕也がカヴァーしたレイ・チャールズの「ワット・アイ・セイ」~精神はロックそのものだが意外に穏やかな歌声
これは今年の3月17日に亡くなった内田裕也氏のツイッターに書いてあった自己紹介である。(2019年11月19日現在) My name is Yuya Uchida....
View Articleハイロウズの「十四才」に込められているリアリティへの希求
ロックンロールという音楽には、古くからの権威や慣習に反発するというイメージと、心の内なる叫びを言葉にしていくセンスのかっこよさ、その両方が含まれている。 ハイロウズの「十四才」は、2001年に発表された楽曲だが、これは日本語によるロックンロールの到達点と言える作品だ。...
View Article片岡義男の小説集『ロンサム・カウボーイ』とエルヴィスのlonesome、そして佐藤秀明の写真集『LONESOME COWBOY』
作家の片岡義男が“lonesome”とは何かについて、英語で教えられたのは子供の頃のことだったと、最新のエッセイで述べている。 そこにいるのは自分だけで他に人のいない状態を寂しいと言うなら、それは“lonesome”だよと、英語で説明されたのは僕が六歳くらいのときだ。この説明を聞いて“lonesome”はよくわかったが、自分では使うことのない言葉だろうな、という思いもすでにあった。...
View ArticleテレビCMで「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」と出会った竹内まりやの衝撃
竹内まりやがビートルズと出逢って衝撃を受けたのは、前触れもなく流れてきたテレビのCMからだった。一緒にテレビを見ていた兄に「今のは何?」とたずねると、「ビートルズ」と教えてくれたそうだ。 その時、竹内まりやは9歳。「あまりの衝撃で、ミコちゃんもパラキンもどこかに行ってしまった感じ」だったという。...
View Article無名だった三上寛が大観衆の喝采を浴びた「夢は夜ひらく」~第3回全日本フォークジャンボリー
岐阜県の椛の湖(はなのこ)の湖畔で開催された第3回全日本フォークジャンボリーは、1971年8月7日の昼から9日未明まで行われた。 そのなかで後世に語り継がれたのは、吉田拓郎(当時はよしだたくろう)が歌った「人間なんて」と、出演予定に入っていなかった無名の三上寛が体を張って見せたライブ・パフォーマンスだった。...
View Article竹内まりやが「一緒に歌う相手は大瀧さんしかいない」と決めていたラブソング
1967年にフランク・シナトラと娘のナンシー・シナトラが歌った「Something Stupid(恋のひとこと)」は、全米No. 1ヒットになったデュエットの定番ラブソングだ。 スタンダードとして歌い継がれてきた「恋のひとこと~Something...
View Article岡林信康の「山谷ブルース」を聞いた板前見習いの若者が起こした行動
1960年代の半ば過ぎから後期にかけて、日本でもフォーク・ムーブメントという現象が起こった。 ギターを弾いていくつかのコードさえ押さえられれば、自分の言葉を綴った歌という形にして、社会に対する疑問や怒りを意思表示して伝えることを知った若者たちが、日本中のあちらこちらでギターを抱えて歌い始めたのだ。...
View Articleドライブ中にスパンダー・バレエの「トゥルー」が流れて不意打ちを食らった小泉今日子
1983年に雑誌のインタビューで、「もうすぐ誕生日だけど、18歳になったら何がしたい?」と聞かれた小泉今日子は、「車の免許が欲しい! で、ホンダのステップバンを買いたい!」と答えたという。 その言葉通り、18歳になってすぐに教習所に通うと、小泉今日子は念願だった普通自動車運転免許証を手に入れた。憧れの赤いステップバンについては、所属事務所に強く反対されて断念したが、そこから運転歴が始まった。...
View Article中原理恵「東京ららばい」のアレンジを彩っていたサンタ・エスメラルダのフレーバー
桑名正博のデビュー曲「哀愁トゥナイト」を作り終えた1977年2月、筒美京平と松本隆はリオのカーニバル観光を中心した南米旅行に出かけている。 引く手あまただったヒットメーカーの作曲家と作詞家が、まるまる1ヵ月も観光旅行に出かけるというのはめずらしいことだった。...
View Articleアメリカで最も有名な冤罪事件から生まれたジョーン・バエズの「勝利の讃歌(Here’s To You)」
アメリカに「赤狩り」が吹き荒れて、共産主義や自由思想が糾弾され、人種偏見と差別が増長していた1920年代。そんな時代に起きたサッコ=ヴァンゼッティ事件を映画化したのが、『死刑台のメロディ』(1971年/原題:Sacco and Vanzetti)である。...
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