2018年の正月が明けてまもなく、宇多田ヒカルがプロデュースするアーティストのお披露目ライブが、1月16日に行われるというニュースが知人からもたらされた。
そしてその日の午後4時すぎに東京・乃木坂にある会場へ行ってみると、入場時に渡された資料のなかから、宇多田ヒカルのこんな言葉が目に飛び込んできた。
この人の声を世に送り出す手助けをしなきゃいけない
―――そんな使命感を感じさせてくれるアーティストをずっと待っていました。
私と出会うまでレーベルオーナーとして主に裏方作業に徹していた小袋成彬の表現者としての真の目覚めに立ち会えたこと、そしてソロデビューアルバム『分離派の夏』の完成をこうして皆さんに伝えられる幸運に感謝しています。
小袋成彬は大学を卒業する直前の2014年に一念発起して実家を飛び出し、豊島区茗荷谷にある曹洞宗のお寺で下宿を始めた。
そして総額5万円にも満たない小さな音楽機材を部屋に持ち込むと、パートナーになる酒本と、夜な夜な音楽について語り合った。
それからは毎朝8時にアルバイトに向かい、夕方過ぎに帰宅したあとで学校帰りの酒本と一緒に、時間を忘れて音楽制作に没頭したという。
23時に閉館する地元の銭湯にいつも間に合わず、1週間で2回ほどしか風呂に入れない時期もありました。土日は日雇いの土方バイト。リソースはほぼゼロ。ひたすら自分たちの音楽を信じるのみ、お金も機材も時間もありませんでした。
しかし、そんなセカセカとした日々の中で、音源制作にとどまらず営業からプロモーション、ビデオ制作、CDの梱包から配送までやってみた。
そのうえで2014年9月に設立したのが音楽レーベルの「Tokyo Recordings」で、平成生まれのメンバーで構成されたレーベルだった。
やがて新進気鋭のレーベルとして音楽界からも大きな視線を集める一方で、2016年9月には宇多田ヒカルのアルバム『Fantome』収録曲の「ともだち」に客演参加し、NHKの音楽番組『SONGS』へ出演したこともあって知られるようになっていった。
レーベルのプロデューサーとして着実に頭角を現しつつあった小袋だが、宇多田ヒカルの心を掴んだのは裏方ではなくシンガー、アーティストとしての小袋だった。
そして2018年4月、宇多田ヒカルのプロデュースによるフル・アルバム『分離派の夏』で、ソロ・アーティストとしてデビューを果たすことが決まった。
アルバムの中で特に印象的なのが4曲目の「Daydreaming In Guam」だ。
「喘息」や「縁側」という、なかなか歌には使われない言葉の数々が、肺病患者のように抑えて歌う低い声とともに、新しく鮮やかな言葉として魅力的に響く。
喘息をこらえて
縁側の座椅子で
朝まで話そう
線香漂うリビング
僕らを睨む君の親父の遺影
陽炎に僕らは溶けた
グアムじゃ毎日熱にうなされて
会話もせずに
あれはごめん
歌詞の展開にワクワクさせられつつ、今度はサウンドの奥行きや広がっていく。
歌詞とメロディー、ビート、グルーヴ、サウンドがヴォーカルと一体になって、楽曲全体で聴き手の心と体に音楽を訴えかけてくるのだ。
その気迫と熱量、意志の強さは生半可なものではない。
歌唱と言葉と音楽が一体となった純度の高い作品なので、リピートして何度でも聴きたくなる。
最初は「Akimoto Kun」という仮のタイトルだった「Daydreaming In Guam」の誕生について、小袋はこんな文章を綴っている。
私は突然に、昔の親友を思い出した。
彼がいなくなってから何年経ったのかも覚えていないほどに些細な出来事であったが、それが意味することを明らかにせずにはいられなかった。
何日も自宅でその曲を作り続け、最後の一句を書き上げたときには、夏真っ只中の、もう十分に明るい朝だった。
歌を録音し、その親友の苗字を仮題にしてファイルを保存したあと、その曲を酒本に送った。
三十分くらい経って、滅多に返信をよこさない酒本から「震えた」というメッセージがきた。
私はその一言を読んだ瞬間、涙が止まらなくなった。
捉えきれない感情が沸点を超えていた。
彼の不在に対して真摯に向きあえずにいた肩身の狭い思いやその揺り戻しとしての安堵、あるいは自らへの労いだったのだろう。
本当に、一日中泣いていた。
あの出来事の意味は明らかだった。
彼は私に「歌え」と言っていたのだ。
生きることを歓び、それを分かち合うことをさらなる歓びとし、草木の揺らぎや風のざわめきをよく感じ取り、一部となり、その声帯を振るわせろという明確なメッセージだったのだ。
それが私の大義であった。
もう歌わざるをえない状況にいた。
これが、本作品の完成を決意した瞬間である。
音楽で何が成し得るのか、歌うことで何が表現できるのか。
今後の展開を期待して見守っていきたい
新たなレーベルを起ち上げた宇多田ヒカルの仕事への意欲が、小袋成彬というアーティストの発見となって実を結んだ。
それは先が見えない状態にある日本の音楽シーンに、間違いなく一石を投じることになるだろう。
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