兄妹デュオのリチャードとカレンが「カーペンターズ」名義で、ロサンゼルスのA&Mレコードとの契約を結んだのは1969年のことだ。
その年にリリースされた彼らのファースト・アルバム『オファリング』は、当時はほとんど注目されなかった。
だがビートルズのヒット曲をカヴァーした「涙の乗車券」がビルボードのHOT100で、最高54位になったことから一部の音楽ファンに好印象を残した。
そして1970年にリリースされた「遙かなる影」が大ヒットし、7月22日から4週にわたってHOT100で全米1位の座をキープした。
そうした勢いもあって、セカンド・アルバム『遙かなる影』はベストセラーになった。
さらに収録曲からシングル・カットされた「愛のプレリュード」がHOT100で2位まで上昇し、カーペンターズはその年のグラミー賞で最優秀新人賞に輝いた。
1971年には「ふたりの誓い」がHOT100で3位、「雨の日と月曜日は」と「スーパースター」はともに2位、カーペンターズはシングル・ヒットが続いてトップ・アーティストの地位についた。
日本における発売元のキングレコードでカーペンターズを担当していた寒梅賢氏は、どうすればアメリカのように日本でもヒットさせることができるかと考えて、いい邦題を付けることにこだわった。
一生懸命に歌詞の意味を考えて、日本人にぴったりあう曲名を付けようとしていたのである。
’Rainy Days and Mondays’は「雨の日と月曜日は」。この「は」がいいんだ、とか言って(笑)。’For All We Know ’は「ふたりの誓い」。当時はラジオ時代だったから、ラジオで聴いて買いに行くことを考えると、原題より邦題のほうが覚えやすくていいかなと。
しかしカーペンターズの作品がなかなか火がつかず、日本では「愛のプレリュード」も、「ふたりの誓い」も、「雨の日と月曜日は」も、ほとんど売れなかった。
それでも寒梅氏は、世界歌謡祭のためにカーペンターズが1970年に初来日したときの屈辱を目の当たりにしていたので、「日本でナンバー1にして見せる。一人も帰らない武道館コンサートをやって見せる」と、いつも強く思っていたという。
〈参照コラム〉初来日したカーペンターズが屈辱を味わった日本武道館における第1回世界歌謡祭
だから手をこまねいていないで、何とかして日本でもシングル・ヒットを出そうと努力した。
とはいえ、プロモーションは苦戦の連続だったと語っている。
ライヴァルのエルトン・ジョン、ミッシェル・ポルナレフ、レオ・セイヤーなんかは話題がたくさんある。でもこっちは「心地よくできれいで爽やかで」で終わっちゃうじゃないですか。記事にしようがない。そういう苦労はありましたよね。
ようやくカーペンターズが日本の音楽ファンに認められたのは1971年から72年にかけてのことだ。
レオン・ラッセルの曲をカヴァーした「スーパースター」が、オリコンのベストテンに入るヒットになって最高7位まで上昇したのである。
やっと日本でも多くの人に認知されてきた頃、アメリカでは1972年6月に発表された4枚目のアルバム『ア・ソング・フォー・ユー』がブレイクしていた。
そのなかから最初に「ハーティング・イーチ・アザー」がシングルカットされて、順調に全米2位のヒットになった。
それはカーペンターズにとって6枚目のゴールドディスク獲得だった。
その後もキャロル・キングのカヴァー曲「小さな愛の願い」がシングル・カットされて12位になり、さらに「愛にさよならを」も7位に入った。
寒梅氏はこのとき、「日本独自のシングル盤を売りたい」とリチャードにアピールしていた。
「トップ・オブ・ザ・ワールド」のほうが日本の音楽ファンに受けると信じて、何度もかけあって了承を得ると11月にシングル盤を発売した。
そしてオリコンのTOP100では最高21位ながらも、約5か月チャートインするロングセラーを記録し、見事に結果を出すことになった。
それに反応したのがアメリカの発売元だったA&Mレコードの出版部門である。
日本での成功からあらためていい曲だということに気づいて、1970年に「ローズ・ガーデン」の大ヒットを放ったカントリー出身の人気歌手、リン・アンダーソンの歌うシングルが発売されることになった。
彼女の「トップ・オブ・ザ・ワールド」がカントリー・チャートで2位になったことで、カーペンターズはアレンジに手を加えた新しいヴァージョンをつくり、あらためて1973年9月にシングルをリリースした。
アルバム発売から1年以上が経っていたにもかかわらず、そのシングルはビルボードの Hot 100で1位になる大ヒットを記録した。
兄妹デュオにとっては「遙かなる影」に続く、2曲目のナンバーワン・シングルとなったのである。
歴史的なヒット曲が誕生してくる裏には、歌や作品に対するこだわりを持った人たちの、実にさまざまな思いと物語が存在している。
<参考図書>
寒梅賢氏の発言は、篠崎 弘(著、監修)「洋楽マン列伝 1 」(ミュージック・マガジン) からの引用です。

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