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Channel: 佐藤 剛 – TAP the POP
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「爪」という曲が好きで最後の4行だけを小さな声でゆっくり歌っていたという向田邦子

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大学を出てTBSに入ってからテレビドラマで活躍していた久世光彦が、師匠筋にあたる森繁久彌の紹介で向田邦子と出会ったのは、1960年代の前半のことだ。
それ以来、ふたりは演出家と脚本家としてドラマの制作現場でともに戦って、いわば同志ともいえる関係がおよそ20年も続いた。

久世と向田が組んだドラマは森繁久彌主演の『七人の孫』から始まり、大ヒットしたシリーズの『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』のほか、『せい子宙太郎‐忍宿借夫婦巷談』『源氏物語』『冬の家族』とたくさんある。

そんなふうに長きにわたって一緒に仕事を共にした同志が、台湾旅行に出かけて飛行機事故にあい、急に亡くなってしまったのは1981年のことだった。
ショックを受けた久世はその翌年、向田への思いをまとめて「触れもせで~向田邦子との二十年」という本を上梓する。



そこには凛としているが、そそっかしいところもあり、親分肌で姉のような魅力ある人間として、向田の素顔が描かれていた。
ペギー葉山が歌って知られた「爪」という歌について、こんな思い出を述べているところがある。

向田さんはこの歌が好きだった。あまり人前で歌う人ではなかったが、この「爪」だけは小さな声で歌っているのを聞いたことがある。夜中にお酒を飲みながら、遠いところでも見ているような目で、最後の四行だけをゆっくり歌っていた。別れの歌なのに変に明るく楽しそうだった。もしかして向田さんが昔好きだったという人にも、爪を噛む悪い癖があったのではなかろうか。女子学生みたいな向田さんの横顔を眺めながら、私はふとそう思った


 「爪」

 二人暮らした アパートを
 一人一人で 出て行くの
 すんだ事なの 今はもう
 とてもきれいな 夢なのよ
 貴方でなくて できはしない
 すてきな夢を 持つことよ
 もうよしなさい 悪い癖
 爪を噛むのは よくないわ


この歌を作った平岡精二は1950年代に起こったジャズブームの頃は10代前半だったが、その頃から自分のクインテットを率いて人気があった。
仲良しだったという美輪明宏が筆者に、若い頃の体験をこんなふうに語ってくれたことがある。

三島(由紀夫)さんとよく三人で飲み歩いたりしていたんです。
彼が作った「あいつ」や「爪」という歌も好きで。
平岡精二クインテットはメンバー全員が天才だったんです。
5人いらして、その5人がすべてお互いの楽器が弾ける。
ドラムからピアノまで、みんなで楽器を回して演奏してるんです。
お客様は熱狂してましたよ。
あんなバンドなんてありませんでしたもの。


青山学院大学の出身だった平岡は作曲と編曲も手がけるようになり、母校である青山学院の校歌も作曲している。

そして平岡は青山学院の後輩で、恋人だったペギー葉山にも代表曲となる「学生時代」を作詞・作曲してヒットさせた。



やがてペギー葉山と別れたときに作ったのが、「爪」だったというな話がもれ伝わっていく。
ペギー葉山には爪を噛む癖があったらしく、平岡はそのことを歌にしたのだという。

自分のロマンスについて平岡は当時の取材に応えて、「同じ仕事を持つ者同士の結婚は、よほど二人が理解し合わないとだめですね。おたがいの神経がぶつかり合うようでは続かないと思うんです…」と語っていた。

久世はライフワークになった歌についてのエッセイ「マイ・ラスト・ソング」で、「爪」を向田邦子の思い出とからめて取り上げている。

向田邦子さんがマニキュアをしていたという覚えが、私にはほとんどない。私の記憶の中の向田さんの指は、万年筆を握って原稿を書いてるときの手先である。大体、タイプライターやワ―プロを打つ女の人の指先にマニキュアは似合っても、万年筆やシャーペンだとなんだか絵にならない。けれど向田さんは、だからマニキュアをしなかったわけではない。向田さんには爪を噛む癖があって、マニキュアができなかったのだ。


生涯独身を通した平岡だったが、晩年はあまり仕事に恵まれず1990(平成2)年に58歳で亡くなった。
そのことについて、久世がこんなふうに述べている。

平岡精二の歌には、「爪」にも、「あいつ」にも、「学生時代」にも、まだ若いはずなのに、いつも小さな〈悔い〉があった。《早熟の哀しみ》みたいな《悔い》があった。


 若かったのね お互いに
 あの頃のこと うそみたい
 もうしばらくは この道も
 歩きたくない 何となく
 私のことは 大丈夫よ
 そんな顔して どうしたの
 直しなさいね 悪い癖
 爪を噛むのは よくないわ



(注)久世光彦の文章の引用は、久世光彦著「向田邦子との二十年」(ちくま文庫)、および久世光彦著「ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング」(文春文庫)によります。

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