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Channel: 佐藤 剛 – TAP the POP
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西城秀樹に『∀ガンダム』の主題歌「ターンAターン」を作った小林亜星との出会いは『寺内貫太郎一家』

1999年から2000年にかけて放送されたフジテレビ系アニメ『∀(ターンエー)ガンダム』で、ストーリー前半のオープニング主題歌「ターンAターン」を歌ったのは西城秀樹だった。...

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美空ひばりが芸の道に生きると、あらためて決意した27歳の夏

美空ひばりはまだ小学生だった9歳のときから豆歌手として舞台に立って歌い、10歳で早くも映画『のど自慢狂時代』に初出演している。 コロムビアから「河童ブギウギ」を歌ってレコードデビューしたのは11歳の時で、続く「悲しき口笛」が大ヒットして少女スターの座についた。...

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星野源やチャラン・ポ・ランタンたちが「スーダラ節」を歌い継ぐことで何かが変わるのか?

2011年7月30日、フジロック二日目のリハーサルが始まったアヴァロン・ステージでは、前日に5回目の出演を果たしたインストSAKEROCKの星野源が、ソロでライブを行うことになっていた。 サウンドチェックのためにステージに登場した星野源は「スーダラ節」を始ると、「リハだけどご一緒に!」と観客に声をかけてた。...

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石田長生が初めて日本語のブルースを感じたという西岡恭蔵の「プカプカ」

1971年の来日公演で体験したB.B.キングの強烈なチョーキングテクニックと、歌ったり泣いたりしているギターに圧倒されて、石田はブルース・ギタリストとして生きようと道を定めたという。 それからはギター一筋に励んで切れ味のいいビート感とテクニック、ブルースマンの精神と音楽への情熱で関西では引っ張りだこのギタリストになっていく。...

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蓄音機を発明したエジソンにまでたどり着いた細野晴臣の音楽を探る旅

幼ない頃から晴臣少年は家にある重いSPレコードを選んで、自分で大きな蓄音機を回して聴くのが大好きだった。 蓄音機は母方のおじいさんにあたる中谷孝男のものだったが、晴臣少年が生まれる前から家に置いてあった。 レコードをかけて音楽が流れてくると、身体が自然に動き出したので、毎日2時間でも3時間でもレコードを聴いていた。...

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はっぴいえんどの「夏なんです」は日本語の歌詞にこだわった松本隆による“ラブソング”

立教大学の学生だった細野晴臣の家に慶應大学に通う松本隆が来て、ロックに日本語は乗るのだろうかと、アルバム『ジャックスの世界』などを参考にしながら、勉強会に取り組んでいたのは1968年の秋のことだ。 1960年代末期から70年代の初頭にかけて、日本語のロックが生まれて来た背景には、欧米のロックに刺激を受けて始まったグループ・サウンズへの反発と失望があった。...

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山川啓介~矢沢永吉に「チャイナタウン」をひとり往くハードボイルドな男を見た作詞家

キャロルが解散した1975年の秋に発表された1stアルバム『I LOVE YOU、OK』は、かつてのファンのあいだでは賛否両論を巻き起こした。 粗削りながらもエネルギッシュでカリスマ的なロックンローラー、そんなキャロル時代の矢沢永吉を期待していたファンにとって、全曲ロスアンゼルス録音によるアルバムは大人びていて、いささか戸惑いを感じさせられるものだった。...

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忌野清志郎がNHKホールで行われた『どんと 紅白』のトリで歌った「孤独な詩人」

どんとがハワイで急逝したのは2000年の1月28日、まだ37歳という若さであった。 訃報を聞いた忌野清志郎はレギュラーで書いていた雑誌に、こんな追悼文を寄せている。(注1) 雰囲気のあるいい奴だった。俺の音楽の理解者だった。 もっとたくさん会えば良かったが今はもう遠い。今年も年賀状が届いたばかりだというのに…。 さようなら、どんと。安らかに眠ってくれ。...

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「一本の鉛筆があれば戦争はいやだと私は書く」と美空ひばりが歌った反戦と平和の歌

1974年に「一本の鉛筆」という歌が誕生したのは、1945年8月6日に原子爆弾によって焦土となった広島で、復興と平和をテーマにして始まった音楽祭がきっかけだった。 美空ひばりには幼少時に父が徴兵された後、四人の幼子を抱えた母と一緒に戦火の中をかろうじて生き延びてきたという、横浜大空襲の体験が生々しく記憶されていた。 かろうじて避難した手作りの防空壕では、生き地獄のような恐怖を味わった。...

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かつての栄光の歌手という道が始まった~坂本九の27歳

エルヴィス・プレスリーに憧れてロックンロールに目覚めた坂本九が、バンドボーイを振り出しに米軍キャンプやジャズ喫茶でのライブで経験を積み、「日劇ウェスタンカーニバル」の舞台に立ったのは1958年の夏のことだ。 そのとき18歳、歌ったのはリトル・リチャードのカヴァー曲だった「センド・ミー・サム・ラヴィン」。...

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リンゴ・スターが加わってビートルズ=Fab Four(ファブ・フォー)の歴史が始まった日

1962年8月18日、マージー川をはさんでリヴァプールの対岸にあるバーケンヘッドの町で、地元園芸協会の17周年を記念するダンスパーティーがあった。 その夜の10時からハルム・ホールのステージに立ったのは、この日からリンゴ・スターを正式メンバーに加えたザ・ビートルズだった。...

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藤圭子 ~日本語でブルースを体現するロック世代のシンガーによる「生命ぎりぎり」

藤圭子がデビューした1969年、日本の音楽シーンには明らかな傾向があった。 カルメン・マキの「時には母のない子のように」を筆頭に、ちあきなおみの「雨の慕情」、加藤登紀子の「ひとり寝の子守唄」、佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」など、若い女性シンガーが歌う暗い曲調の歌がヒットしていたのだ。 それらの歌の主人公に共通するのは、”行き場のない孤独と切なさ”だった。...

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西城秀樹にコール&レスポンスを定着させた鈴木邦彦、少年から青年に成長させた阿久悠と三木たかし

子供のころから洋楽が好きで、早くも小学生から兄たちのバンドでドラムを叩いていた西城秀樹は、1972年3月25日に「恋する季節」で歌手デビューした。 そして2作目の「恋の約束」と3作目の「チャンスは一度」(ともに作詞:たかたかし、作曲:鈴木邦彦)で、ファンが順調に付いて人気が上昇してきた。...

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アルバム『原子心母』の帯に書かれた名文句「ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり!」

1960年代後半に洋楽マンとしてのキャリアをスタートさせた石坂敬一は、東芝音楽工業株式会社(東芝レコード)へ入社してまもなくビートルズ担当のアシスタントとなり、ピンク・フロイドやT・レックスなどを担当して数々のヒット作を手掛けた。 ビートルズに関していえば、リアルタイムより少し遅れてベスト・アルバムの『ザ・ビートルズ 1962-1966 』と、『ザ・ビートルズ...

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テレビ出演で猟犬に向かって「ハウンド・ドッグ」を歌わせられたエルヴィスの屈辱

1950年代半ば、アメリカでは一般家庭にテレビの普及が進んでいた。 そこで、エルヴィスのマネージメントを手がけるパーカー大佐は、新しいメディアの影響力を最大限に利用しようと考えた。 最初のテレビ出演が行われたのは1956年1月28日、メジャーのRCAに移籍して最初のシングル「ハートブレイク・ホテル」が発売された翌日のことだ。...

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クリエイティブな空気のなかでレコーディングが行われた矢沢永吉の「時間よ止まれ」

1977年の夏に流れた資生堂のキャンペーン「サクセス、サクセス、」で、コピーを書いたのはコピーライターの小野田隆雄だった。 そこから生まれたのが作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童による「サクセス」である。 演奏はダウン・タウン・ブギウギ・バンド、編曲はメンバーだったキーボーディストの千野秀一、歌ったのは宇崎竜童。...

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”はっぴいえんど解散”と銘打って行われたファミリーによる旅立ちコンサート

写真:井出情児 「はっぴいえんど」と「風街ろまん」、それに「HAPPY END」という3枚のアルバムを発表したはっぴいえんどは、すでに1972年いっぱいで実質的には解散していた。 にもかかわらず東京・文京公会堂で、解散コンサートと銘打った『CITY―LAST TIME AROUND(ラスト・タイム・アラウンド)』が開かれたのは、1973年9月21日のことだった。...

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ジャニス・ジョプリンがクリス・クリストファーソンから受け継いだ「自由」の歌

クリス・クリストファーソンは父が空軍の元将軍で、自分もオックスフォード大学を卒業後、西ドイツで空軍のパイロットとして従軍した。 そして退役後には就職したのだが、すぐに仕事を辞めることを決意する。 念願だった音楽の道に進んで、ソングライターをめざすためである。 しかし29歳で幼い子供を持つ父親のクリスに、そんな「自由」な生き方が許されるはずはない。...

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筒美京平の評価を決定づけた平山みきの「真夏の出来事」

どこか”変な歌”についての定義づけをしたのは、『時間ですよ』や『寺内貫太郎一家』、『ムー一族』などの人気シリーズを筆頭に、テレビ史に残る数多くのテレビドラマを手がけたTBSの演出家、後に作家としても活躍した久世光彦だった。<注1> 流行歌の世界では、ときどき変な歌が突然現れてヒットすることがある。...

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聴いてくれる人の心の中に絶叫をかきたてる遠藤ミチロウの「カノン」

撮影・三浦麻旅子 愛知県豊橋市の「ハウス・オブ・クレージー」で2011年9月4日(日)、友部正人と遠藤ミチロウのライブが行われた。 友部がその日のことを、公開している日記にこう記していた。 1年9か月ぶりの豊橋、今回は遠藤ミチロウとのジョイントでした。 最初にミチロウが歌いました。客席でぼくも聞いていたのですが、ミチロウを信頼しきったような一人の青年の表情が印象的でした。...

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